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「男は臭いから一日数回シャワーしろ」と言い放ったハラスメント講師が契約解除されたのはキャンセルカルチャーか?

 フリーアナウンサーでハラスメント研修講師の川口ゆり氏が以下のXのポストを投稿したことによって事務所から契約解除された。それに対してフェミニストを自称する女性も含めて「それはオカシイ」と言い出している。このことについて今回note記事に取り上げよう。

 当該ポスト関連の問題のトピックはいくつもあるのだが、まずはこのポストの文面から、この発言がジェンダー差別的なハラスメント発言であることを確認しよう。その上で、そんなジェンダー差別的なハラスメント発言をX上に投稿したハラスメント防止研修講師が事務所から契約解除されたことは、よく言われるようなキャンセルカルチャーには当たらないことを見ていきたい。


■「クッション言葉+感想」と排除への寛容の要求

 川口氏のXのポストにおける「ご事情あるなら本当にごめんなさいなんだけど」との言葉はクッション言葉と呼ばれる前置きである。相手に伝えにくい事を伝える際に配慮した言い回しを「オブラートに包んだ言い回し」と呼ぶが、相手に伝えにくい本体の内容を包むオブラートの一種がクッション言葉である。他の例を挙げるなら、お手数をおかけしますが・恐れ入りますが・大変失礼ではございますが・申し訳ありませんが等の言葉である。

 さて、例示したクッション言葉から使用される情景も思い浮かんだであろう。クッション言葉は「クッション言葉の後の内容を相手に伝える」との意図から発せられる言葉だ。もちろん、(当初は)鍵アカウントでもないSNSで発信された言葉であるから他者に伝えたい言葉であるのは当然なのだが、クッション言葉の使用によってその意図がより強いことが窺える。

 実際にクッション言葉の有無で「伝達の意図」の強弱あるいは有無が変化することを別の事例で具体的に確認しよう。さて、酷暑の部屋に居る人が以下を言ったとしよう。

  • 部屋が暑すぎる

  • 申し訳ないが、部屋が暑すぎる

 二つの言葉を見比べると理解できると思うが、前者は特に伝える相手を想定していない単なる感想の吐露と受け止めることもできるが、後者は単なる感想の吐露ではなく「申し訳ないが」と断る相手が想定されている。そして、自分の感想を相手に伝えることで相手から何らかの改善や寛容を引き出そうとする意図が窺える。すなわち、以下のような黙示的な要求を含んでいる。

  • 状況を改善しろ

  • クーラーをつけろ

  • ヤル気が出ない事を許容しろ

  • この部屋での作業を拒否させろ

  • 飲食を許可しろ

  • ラフな格好をさせろ

  • 部屋に滞在することを拒否させろ

  • 別の場所へ移動させろ

 もちろん、文脈に応じて相手に要求する内容は当然ながら変わる。しかし、「クッション言葉+感想」は単に感想への共感を求めるものではない点は変わりはない。すなわち、「クッション言葉+暑すぎるとの感想」は単に「この部屋アチーな!嫌になるな」という愚痴の類ではないのだ。

 同様に「1.ご事情あるなら本当にごめんなさい」というクッション言葉の後に、「2.夏場の男性の匂いや不摂生している方特有の体臭が苦手すぎる」という感想を述べることは、2.で述べたことに対する「改善の要求」「排除への寛容の要求」等を含意していると考えられる。つまり、単なる「メチャクチャ臭いなぁ」という感想の吐露ではないのだ。

 とはいえ、このことはもっとシンプルな口語表現でないと理解できないかもしれない。そこで「クッション言葉+感想」構造で必要な要素だけ残して口語表現で示してみよう。

  • アイツ臭せぇ

  • 悪いんだけど、アイツ臭せぇ

 さて、後者だけでなく前者の言葉も改善の要求や排除への寛容の要求等を含意しているのだと考えることは当然できる。しかし、注目するところは逆のポイントである。前者の言葉は「単に臭いとの感想を述べているだけ」とも解釈できるが、後者はそのような感想の吐露としてのみ捉えることはできないという点にある。

 ではなぜ、後者は感情の吐露としてのみ捉えることが出来ないのだろうか。

 もちろん、その理由は「悪いんだけど」のクッション言葉にある。この「悪いんだけど」との言葉は、続く言葉が「ある価値基準からみて負の評価」であるからこそ発せられるものだ。ここで注意を促しておくが「においという評価基準での"臭さ"の負の評価」ではない。そうではなく、「アイツ臭せぇ」との発言行為と発言行為とともに遂行される行為が負の評価対象である。そして、その負の評価対象に対する寛容を要求するのが「悪いんだけど」のクッション言葉なのだ。

 つまり、「悪いんだけど、アイツ臭せぇ」というクッション言葉付きの感想は、「『あの人が臭い』と私が感じていることを理解して欲しい。同時に悪い事であることは承知の上で『あの人の排除』への寛容を要求したい」との含意がある。

 オリジナルよりもシンプルな口語表現に変えたが、上記の構造はオリジナルな表現でも同じである。すなわち、「ご事情あるなら本当にごめんなさいなんだけど、夏場の男性の匂いや不摂生している方特有の体臭が苦手すぎる」というクッション言葉付の感想は、体臭が苦手すぎることによる排除への寛容を要求しているのだ。

 しかし、「夏場の男性の匂いや不摂生している方特有の体臭が苦手すぎる」という部分を単なる感情の吐露として解釈しようとする向きがある。「そう思った、そう感じたという自分の感想を吐露することがいけないっていうの?」という形で、罪一等を減じようとしている。なんでもかんでも思ったことなら口に出してもよいのかという問題もあるのだが、本稿では脇に置いておこう(註1)。問題は「排除への寛容の要求」である。

 川口氏の発言のクッション言葉の働きを無視する人間は、フェミニズム的価値観からのご都合主義的態度から無視している場合が多いだろうが、クッション言葉が余りにも定型化されているために特段意味もない時候の挨拶のような埋め草と考えている可能性がある。しかしそれは大きな間違いである。彼女はその感想を根拠とする排除への寛容を要求していたのであって、単なる感想の吐露ではないのだ。


■「パンがなければケーキを食べれば?」と同じ想像力の無さ

 さて、体臭を理由とする排除への寛容に関してだが、これは程度問題である。何週間も風呂に入っていない人間が放つ異臭に対して「臭過ぎて無理!」と排除することは、その異臭を放つ人間側に余程の事情が無い限り、「まぁ、そりゃしゃあない」と寛容に認められるだろう。つまり、体臭を理由とする排除であったとしても許容されることはあるのだ。通常一般人の身嗜みの下限を逸脱して異臭を放っている場合は、余程の事情が無い限り、異臭を放つ側が改善すべきことであり、また、異臭を放つ人間を排除することも許容される。したがって、川口氏がどの程度の体臭に対して「苦手すぎる」として排除しようとしたのか、その程度が問題となるのだ。

 では、どの程度の体臭を川口氏が問題にしていたか確認しよう。

常に清潔な状態でいたいので1日数回シャワー、汗拭きシート、制汗剤においては一年中使うのだけど、多くの男性がそれくらいであってほしい

 ハッキリいって異常である。「1日数回シャワー」が可能な職場など通常一般人が勤務する職場ではない。川口氏が要求する体臭のレベルは「1日数回シャワー、汗拭きシート、制汗剤の使用」によって到達するレベルの体臭である。そんなレベルは通常一般人の身嗜みの上限を超えている。そんな身嗜みを要求するほうが異常である。通常一般的な上限を超えて「不快なのだ」という感覚を根拠にして、実質的に不可能なことを相手に要求することは不当要求といってもよい。

 もちろん、川口氏自身は不当要求レベルの要求をした認識はないかもしれない。なんといっても、川口氏自身は「常に清潔な状態でいたいので1日数回シャワー、汗拭きシート、制汗剤においては一年中使う」という職場環境に居るらしいからだ。したがって、自分の職場環境を基準に考えて「多くの男性がそれくらいであってほしい」と宣ったのだとも考えることもできる。

 しかし、「お前はどこのマリー・アントワネットだ?」と言いたくなる程の想像力の無さである。「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない」というマリー・アントワネットの発言がおかしかったのは、フランス革命時に庶民がパンが無い時にケーキを食べなかったのは庶民にはケーキどころかパンが無かったが故であり、パンの代わりにケーキが食べられるのであれば当然食べているという当たり前の話を理解していないことにある。川口氏の発言はそれと同様である。つまり、汗をかけばすぐにシャワーできる職場環境にあるならば多くの男性だってシャワーを浴びてサッパリしているという話である。そんなことができない職場環境だからこそ、一日数回のシャワーを浴びていないだけのことだ。

 「多くの男性がそれくらいであってほしい」と川口氏は宣っている。しかし、多くの男性どころか女性も含む殆どの社会人は彼女が要求する身嗜みが可能な職場に勤務していないことは自明である。そのことから彼女の発言は2つの意味での差別発言となる。すなわち、職業差別と男性差別である。

 「一日数回シャワーが可能な例外的な職業」についていなければ「体臭が苦手すぎる」として蔑まれることになる。つまり、一日数回シャワーが不可能な(一般的な)職業は賤業というわけだ。そして、一日の疲れを夜に入る風呂で癒す程度の生活をしている多くの男性は「それくらいであってほしい」と川口氏がほざく基準を満たすことはできない。つまり、多くの男性は「そのくらい」のこともしていない汚らしい奴らというわけだ。

 しかし、「普通の仕事をしていれば一日数回もシャワーするのは無理」程度のことは現代日本で生活する社会人であれば大した努力も要らずに認識することができる。それにも関わらず、相手に対する自分の感覚が妥当かどうか検討することもない。それは常々フェミニストが批判している「相手には無い自分の特権に気づこうとしない」という態度に他ならない。そして、自分には可能だが相手には不可能な事柄を理由に非難の言葉を投げつけ加害性を発揮する。それは、フェミニストが散々に糾弾してきたセクシストの態度である。

 それにも関わらず、フェミニストを自称する少なくない人間が、川口氏の発言の差別性を無視する。フェミニストは男性がジェンダー差別発言をしたときは鬼の首を取ったように大騒ぎする癖に、女性がジェンダー差別発言をしても無問題と考えるのだ。まったくもってフェミニストの態度は公平さに欠ける人間のクズといっていい態度である。よくもまぁそれでフェミニストは「ジェンダー平等を目指しているんです」と嘯いているもんである。


■川口氏の契約解除はキャンセルカルチャーか?

 川口氏と契約していた事務所が、川口氏の当該差別発言を受けて契約解除した。このことに関して、事務所の契約解除を解雇と混同している議論も見られる。しかし、根本的な話として、フリーランスが契約解除されて関係を清算されることは、被雇用者が解雇されることとは異なる法律行為である。川口氏と事務所の関係は、婚活者と結婚相談所の関係あるいは求職者と就職エージェントの関係に等しいのだ。つまり、結婚相談所や就職エージェントが婚活者や求職者に対して「あなたはウチで面倒みれません」として強制退会するようなものである。したがって、川口氏が事務所から契約解除されたことを「解雇」と見做して議論することは、処分の重大さを誤認させる議論である。このことにまず注意を促しておきたい。

 上述のことを理解した上で、川口氏の契約解除がキャンセルカルチャーであるかどうかを考えていきたい。

 さて、まずキャンセルカルチャーかどうかの判断において重要な事実は、「川口氏がハラスメント研修講師である」ということである。そのことを以下の写真からで確認しよう。

Black Clear氏のXのポストより

 また、川口氏はX上で以下の発言をしている。つまり、「コンプライアンス的や倫理的に見たときに問題となる発言は、発言者の立場によって変わってくる」という知識を川口氏は持っていることを示している。

 更には、ジェンダー問題に関しても彼女は意識的と自称しており、ジェンダー差別的発言を度々パワハラ・モラハラ防止研修のネタとして使用していたことを窺わせる発言をX上に投稿している。そのことは以下の新聞記事から明らかだ。

 川口アナは過去にXでジェンダーやハラスメントの問題について繰り返し発信。ハラスメント防止研修で講師も務めていた。これまでXでは「北海道は政治、経済、教育においてジェンダーギャップ指数が全国最下位とのこと。。北海道の女性は逞しく強いと思ってたけど実際のリーダーは男性ばかり」「男尊女卑的な思想、稼ぐ人間が一番偉い、的な話を押し付けられる度に、おっとこれはパワハラ・モラハラ防止研修のネタになるぞ…とメモしてる」「あらゆるすべての理不尽なハラスメント、差別や偏見が、今日より明日少しでも減りますように」などと意識の高い内容を投稿していたが、皮肉な結果を招いてしまった。

「男性の体臭苦手」投稿で契約解除の女性アナ、過去には「ジェンダーギャップ」などSNS発信…ハラスメント防止研修で講師も
2024.8.11 中日スポーツ

 上で確認したことのなかでも重要なのは以下の4点である。

  • ハラスメント防止研修講師である

  • 発言者の立場でコンプライアンス的・倫理的に許容される発言が変わることを理解している

  • 建設現場でのハラスメントに関して講習している

  • ジェンダー問題のハラスメントを研修で取り上げている

 この4点を踏まえて、「一日数回シャワーなど不可能な建設現場で働く男性を含む多くの男性へのジェンダー差別的なハラスメント発言」を行ったハラスメント防止研修講師という立場の川口氏に対する事務所からの契約解除という処分を考察しよう。

 川口氏の当該Xポスト投稿によって生じた事態は川口氏の専門性に対する合理的な疑いが生じた事態と言える。俗っぽくいえば「こいつホントは講師なんぞできない人間なんじゃないか?」と思わせるに足ることを川口氏はやらかしたといって良い。つまり、川口氏個人のハラスメント研修講師の適性が疑わしくなった問題が川口氏の当該Xポスト投稿によって生じた問題の一つである。

 更に「ジェンダー差別的なハラスメント発言には気をつけましょうね」と教えている人間がジェンダー差別的ハラスメント発言をしているのだからハラスメント研修講師全体に対する信用失墜も甚だしい。譬えるならば「警察官が犯罪を犯してた」というケースに相当する。

 事務所からすればクライアント企業からの「アンタんとこのハラスメント研修講師は自分のハラスメント発言すら分からんボンクラしか居らんのか?」という評判に関わる問題となり、川口氏との契約を維持するほうが遥かにリスクが高い。川口氏以外の事務所所属の講師に対する信用問題にもなるからだ。したがって、川口氏の当該Xポスト投稿によって生じた問題は事務所が派遣するハラスメント研修講師の品質問題にもなるのだ。

 以上のことから理解できると思うが、川口氏がジェンダー差別的なハラスメント発言をSNSに投稿したことで事務所から契約解除されたことは、投稿内容がジェンダー差別問題に関係するために混乱しやすいが、結局のところはジェンダー差別問題から生じるキャンセルカルチャーとは無関係の話である。すなわち、彼女が事務所から契約解除された問題は、

「ボンクラ講師自身の知識や適性の無さ」と「他の所属講師に対する信用失墜」で事務所から契約解除された

という問題に過ぎないのだ。したがって、彼女が事務所から契約解除された話をキャンセルカルチャーとして捉えることは事実誤認といってよいだろう。言ってみれば、教えている教科内容でデタラメを投稿したフリーランスの予備校講師が契約した予備校から契約解除された話と同じことなのだ。



■フリーアナウンサーとしての芸能事務所との契約解除はキャンセルカルチャーになるか?

 フリーアナウンサーとしての芸能事務所との契約解除がキャンセルカルチャーでないといえるかどうかはかなり微妙である。ただし、フリーアナウンサーとはいうものの実態は結婚式等の式典の司会がメインであるようだ。

 さて、司会者が式典のプログラムに沿うものの自分なりの言葉も差し挟むことがあるようであれば、ジェンダー差別的なハラスメント発言をするアナウンサーは適性に欠くと言えなくもない。しかし、司会業に関してはハラスメント研修講師とは異なり、そこまで自分の言葉を差し挟む機会があるのかどうか微妙である。

 したがって、司会業を中心とするフリーアナウンサーとしての業務においてジェンダー差別的発言をする機会がそれなりにあるのであれば今回のSNS投稿によって川口氏が芸能事務所から契約解除されたことはキャンセルカルチャーとはいえない。しかし、そんな発言をする機会がほぼ無いのであればアナウンサーとしての業務とジェンダー差別的発言の間には直接的関係が無いと言えるので芸能事務所から契約解除されたことはキャンセルカルチャーとなる。

 その辺りは実態がどうであったのか明らかでなければ何とも言えない事だろう。



註1 何でも思ったことなら公言してもよい訳がない。「そう思ったこと、そう感じたことが事実であれば公言しても良い」と考えている人間が居るが、「何を思ってもいいし、何を感じてもいいし、何を考えてもいい」という内心の自由と、それらを口に出す表現の自由を混同している。その辺を弁別できず自分の都合の良いように、「表現」に対して無制限の自由である内心の自由であるかのように表現の自由を主張し、また別の場合には「内心」に対して一定の制約を受ける表現の自由であるかのように制約を主張するご都合主義を振りかざす人達がいる。フェミニストはそんなカスの典型だが、今回の場合も同じようなご都合主義を発揮しているのだ。

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