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日常的にデートDVを受けている男性達

 奢り奢られ論争に関して、私もこれまで幾つかのnote記事を書いてきた。しかし、2018年3月の時点で政府機関である男女共同参画局がサイト上で「"デートで奢らされること"はデートDVに当たる」と広報していたとは恥ずかしながら知らなかった。そんな政府の公式見解がSNS上で話題となり、メディアが以下の記事として取り上げた。

 上記の記事においては、2018年3月に公表されていたデートDVを巡る政府公式見解に関する、2024年5月下旬でのSNS上の反響・男女共同参画局からの公式見解に対する補足・デートDV相談の関係者の話・「"デートで奢らされること"はデートDVに当たる」と一般に周知されていない現時点でのデートDV全体における経済的DVの被害認識の割合の4点が取り上げられている。

 当該記事においては、お馴染みとすら言えるフェミニズム由来の男性悪玉論のアンコンシャスバイアスが見え隠れしている。取ってつけたようなデートDV相談の関係者の話の紹介が典型なのだが、何が何でも「男性=加害者、女性=被害者」としたいようである。ただし、当該記事における男性差別のアンコンシャスバイアスに関して、本稿においては注意喚起に留め、批判するのは別稿に譲るとしよう。

 今回のnote記事を書くことにした契機となったネット記事の話はこの辺にして、本稿のテーマについて述べよう。

 今回note記事のテーマとするのは、表題に挙げた「男性が被害を受けるデートDV」に関するもので、とりわけ「デートで奢らされる」という経済的DVについてである。「デートで奢らされる」という男性が直面することの多い日常的シーンは、どのようなデートDVであるのかについてデートDVの典型であるデートレイプとの比較を通して考察していく。このことによって男性がどのようなデートDVを日常的に受けているのかを見ていくことにしよう。


■奢り奢られ問題に関する政府の見解

 先に挙げた記事中の画像が政府の見解を分かり易く示していた。ただし、恐らくは内閣府男女共同参画局が作成した図の一部であるのだろうが、ざっくりと調べた程度では残念ながら原典となる図が載った政府機関のサイトを私は見つけることは出来なかった。ただ、そこは大してこだわるポイントでもない。そこで画像検索を試みたところ、類似の画像が茨城県高萩市のサイトにあった。その画像を引用しよう(註1)。

茨城県高萩市のサイトより

 さらに、政府広報オンラインにおいて広報されていた内容も紹介しておこう(註2)。

暴力は「身体的暴力」だけに限りません。DVに当たる行為とは?
 暴力とは、殴る、蹴るなどの身体的暴力だけを指すのではありません。身体を傷つけなくても、怒鳴る、無視するなどして心理的に攻撃することや、生活費を渡さない又は外で働くことを制限して経済的に圧迫することも暴力です。また、嫌がっているのに性的な行為を強要するなど、性的な暴力もあります。

【DV行為の例】
心理的攻撃
▪大声でどなる、ののしる、物を壊す。
▪何を言っても長時間無視し続ける。
▪ドアを蹴ったり、壁に物を投げつけたりして脅す。
▪人格を否定するような暴言を吐く。
▪こどもに危害を加えるといって脅す。
▪SNSなどで誹謗中傷する。
▪交友関係や電話・メールを監視する、制限する。
▪行動や服装などを細かくチェックしたり、指示したりする。
▪他の異性との会話を許さない。

経済的圧迫
▪生活費を渡さない。
▪デート費用など、いつもパートナーにお金を払わせる。
▪お金を借りたまま返さない。
▪パートナーに無理やり物を買わせる。

性的強要
▪無理やり性的な行為を強要する。
▪見たくないのに、ポルノビデオやポルノ雑誌を見せる。
▪避妊に協力しない。
▪中絶を強要する。

 上記の様々な暴力は、暴力を受けた本人の心身に重大な影響を及ぼします。暴力を受けない状態になってからも、暴力を受けていたときの恐怖が消えず、情緒不安定になったり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になったりするなど、心の健康を害してしまうケースもあります。
                (中略)

DV被害を受けたら、どこに相談すればいいの?
                (中略)
 しかし、暴力はいかなる理由であっても、どんな間柄であっても、許される行為ではありません。暴力を受けた被害者を加害者から守るために、様々な相談・支援の窓口があります。

 相手との関係が「つらい」「なにかおかしい」と感じていたら、「自分が我慢すればいい」と思わず、相談してください。性別にかかわらず、どなたでも相談できます。
 どこに相談したらいいか分からない場合は、まずは「DV相談ナビ」や「DV相談+(プラス)」をご利用ください。

DV(配偶者や交際相手からの暴力)に悩んでいませんか。一人で悩まず、お近くの相談窓口に相談を!
2024.2.15 政府広報オンライン (強調引用者)

 公表された政府見解の詳細を聞くために、J-CASTニュースが男女共同参画局の男女間暴力対策課に取材をして回答を得ている。J-CASTニュースが取材して記事にした回答を以下に引用しよう。

「こうした暴力は、男女を問わずにありえます。デート代を払わないということだけで、一律にDVだと決めているわけではありません。デート代の支払いを求められているものの、相手に一方的に支払わせることがDVに当たると考えられます。2人の関係性もありますので、あくまでもケースバイケースです」

「デート費用を全く払わない」は経済的DV 内閣府サイトに衝撃...該当するのはこんなケース
J-CASTニュース編集部:野口博之 2024.5.29 J-CASTニュース

 以上の政府の回答から「デート代を支払わせること」が「デートにおける性的行為」とパラレルの関係にあることが窺える。デートにおける性行為が一律にDVになることがないように、デート代の支払いもまた一律にDVになることはない。二人の関係性や状況によってDVになることもあり、ならないこともあるというわけである。とはいえ、「デート代を支払わせること」は「デートにおける性的行為」と同等にデートDVと成り得る行為であることには変わりは無いのだ。


■デートDVとしてのデートレイプとデート恐喝の同型性

 デートDVというと真っ先に「恋人からのレイプ」が思い浮かぶ。このデートレイプの犯罪化の歴史を見ていくことで、現時点において犯罪化されていないデート恐喝の犯罪性を考察しよう。

 フェミニズムによって問題視される以前において「恋人からのレイプ」は「レイプ」とは見做されていなかった歴史がある。恋人・パートナーといった親密な関係のある人物との間、あるいはセックスフレンド・ワンナイトラバー等の性的関係を自発的に取り結ぶ人物との間における性行為はレイプにならないと認識されていた。言い換えると、レイプとは典型的には見知らぬ他人から強制される自発的意思によらない性行為を指していたのであり、また顔見知りであっても性的関係を取り結ぶ人間関係にはない人物から強制される性行為を指していた。すなわち、慣習的に性的関係を取り結ぶと認識されていた人間関係にある人物からの強制された性行為はレイプと見做されなかった過去がある。そんなレイプ対する認識をひっくり返したのが、フェミニズム思想である。「たとえ慣習的に性的関係を取り結ぶ人間関係にある人物との間であっても、自発的意思がないのであれば、その性行為はレイプとすべきなのだ」と、フェミニズム思想はデートDVに対する認識の革命を起こしたのだ。

 このフェミニズム思想によるデートDVに対するコペルニクス的転回―—"慣習的な関係性"から"当人の自発性"への着目点の転回―—を、奢り奢られ問題に適用すればどうなるかを考えよう。

 さて、「恐喝」という犯罪類型がある。典型的には見知らぬ他人から金銭を脅し取る犯罪である。また、顔見知りであっても経済関係を取り結ぶ関係にない人物から強制される金銭供出を「恐喝」と呼ぶ。一方で、現在においても慣習的に経済関係を取り結ぶ人間関係にある人物からの強制された金銭供出は恐喝と見做されていない。この現状は、フェミニズムによって「デートDVの一類型であるレイプ」がレイプと見做される前夜の状態である。したがって、慣習的に性的関係を取り結ぶ人間関係にある人物からの強制された性行為を犯罪行為のレイプと見做したように、慣習的に経済関係を取り結ぶ人間関係にある人物からの強制された金銭供出もまた犯罪行為の恐喝と見做すべきである。

 つまり、「慣習的に性的関係を取り結ぶ関係」という関係性によってデートレイプがレイプと見做されなかった状態を不当であるとしたように、「慣習的に経済関係を取り結ぶ関係」という関係性によってデート恐喝が恐喝と見做されていない現状を不当とすべきなのだ。慣習的な関係性があろうがなかろうが自発性が無かったとき「非自発的性行為はレイプである」としたのと同様に、慣習的な関係性があろうがなかろうが自発性がなかったのであれば「非自発的金銭供出は恐喝である」とすべきである。

 行為に対する自発性に関する、有名な「紅茶を飲むかどうか」の譬え話がある。この譬え話は「相手との性行為における相手の自発性の重要性」を説くものだ。まずは、譬え話の提示者の意図通りに「紅茶を飲むこと」を「性行為」に置き換えて読んで欲しい。

 あなたは誰かに紅茶をいれることにしました。

 「紅茶はいかが?」とあなたが尋ねたとき、「飲みたかったんだ!ありがとう、ぜひ!」と答えたら、相手も紅茶が飲みたいことがわかりますね。もしも「紅茶はいかが?」とあなたが尋ねたとき、「う〜ん...どうしようかな...」と答えた場合、あなたは紅茶をいれてもいれなくても構いません。

 仮にいれたとしても相手が飲むとは限りませんよね。もし相手がそれを飲もうとしなかったら、ここが重要です。
 
 相手に無理やり飲ませない。

 あなたがわざわざ紅茶をいれてあげたとしても、相手がそれを飲まなければならない義務はないのです。相手が「要りません」と答えたなら、紅茶をいれるのをやめてください。少しも要りません。

 ただ、やめてください。

イギリスの警察による紅茶の譬え話

 今度は、上記の譬え話に関して「紅茶を飲むこと」を「デート代を奢ってもらうこと」に直接的に置き換えて考えてみよう。

あなたは誰かとデートに行くことにしました。

 「奢ってくれないかな?」とあなたが尋ねたとき、「いいよ!君に奢りたかったんだ」と答えたら、相手もあなたに奢りたいことがわかりますね。もしも「奢ってくれないかな?」とあなたが尋ねたとき、「う〜ん...どうしようかな...」と答えた場合、あなたは奢ってもらえるか奢ってもらえないかわかりません。

 仮にあなたがデートに行ったとしても相手が奢るとは限りませんよね。もし相手が奢ろうとしなかったら、ここが重要です。

 相手に無理やり奢らせない。

 あなたがわざわざデートに付き合ってあげたとしても、相手がデート代を支払わなければならない義務はないのです。相手が「奢りません」と答えたなら、奢ってもらおうとするのをやめてください。少しだけお金を出して残り全部を相手に支払わさせようとしないでください。

 ただ、自分の分を全額払って下さい。

紅茶の譬え話を「デートDVであるデート恐喝」の譬え話として解釈する (筆者作成)

 「紅茶を飲むこと」を「デート代を奢ってもらうこと」に直接的に置き換えてみたときにどう感じたであろうか。「そんな話はオカシイよ!」と感じたのであれば、「紅茶を飲むこと」を「性行為」に置き換えた一般的解釈もまた「そんな話はオカシイよ!」と認識すべきである。

 ただし、フェミニストの多くはそのようには認識しない。

 フェミニストはつねづね性行為に関してイギリス警察が提示した紅茶の譬え話を持ち出してくるが、「被害者=女性,加害者=男性」の図式に当てはまる場合だけ「そうだ、そうだ。その通りだ!」とのシュプレヒコールを繰り返す。しかし、「被害者=男性,加害者=女性」の図式となった途端に掌を180°回転させて「そんな理屈はオカシイ」と絶叫する。

 当節でみてきたような「慣習的な関係性から非犯罪化していた認識枠組み」から「相手の自発性の有無によって犯罪となるか否かが決まる認識枠組み」へのコペルニクス的転回を、女性側に得になる場合にしかフェミニストは認めない。

 そんなご都合主義に物事を考えるセクシストが、フェミニストという名称で呼ばれる品性下劣な人間である。


■「グラデーションレイプ」という概念

 一年程前に、X(旧Twitter)上を騒がせた「グラデーションレイプ」という、主に女性にとって都合の良い概念がある。その概念を提出したのは、以下のXのポストである。

2023.2.6の峰なゆか氏のXのポストより 

 フェミニズムのアンフェアさが煮詰まったような「グラデーションレイプ」の概念だが、当然の如くフェミニストには上記の概念の賛同者が多い。何といっても女性にとって非常に有利な考え方だからだ。

 性的被害を訴える主張に関する女性側の有利さは、草津町冤罪事件から容易に理解できる。客観的に見れば「女性が主張している状況が現実であった蓋然性は低い」という事態であっても、「被害者である女性が主張しているのだから蓋然性の高低を問わず『正しいはず』である」とする風潮が厳然と存在している。草津町の黒岩町長が冤罪を晴らすことができたのは、たまたま相手側の元市議の新井祥子が大ポカをして黒岩町長の無罪の証拠となる録音テープを残していたからである。そんな敵失がなければ黒岩町長の冤罪は晴れることは恐らく無かった。犯行現場が「真昼間のガラス張りの町長の公室」という、人知れず強制性交することは不可能だろうといえる状況であっても、敵失である録音テープが無ければ冤罪であることを証明できなかったのだ。

 性的被害を訴える女性の主張の扱いがそのような有利性を持っている社会的状況で、「後から思い起こすような自発性の有無」で性行為の正当・不当の判断を行うことを良しとするのは、不公正な機会主義的訴えを多数生じさせるだろう。

 しかし、そんな性的被害の訴えに関する女性の有利性を背景した女性の機会主義的行動による社会に対する負の影響を無視して、フェミニストは「グラデーションレイプ」概念を称賛し支持する。

 だが、「グラデーションレイプ」を「グラデーションDV」の下位概念として捉え直したとき、「加害者=女性,被害者=男性」の関係になるグラデーションDVである事態において、フェミニストは「グラデーションDV」という概念のアンフェアさに対してご都合主義的に非難し始めるだろう。

 つまり、被害者有利な「グラデーションDV」概念は、女性が加害者の立場になるときフェミニストが大反対するようなアンフェアで危険な概念なのだ。この「グラデーションDV」概念の危険性を次節でみてみよう。


■「グラデーションDV」の概念の危険性

 グラデーションレイプを含むグラデーションDV概念の危険性は、「後から思い起こすような自発性の有無」によって行為の正当性を判断することによって生じる。グラデーションDVでの性的被害の訴えに関して女性の有利性によって危険性がブーストされるが、そんなブースト部分を除いても、グラデーションDVの概念の危険性は非常に高いのだ。すなわち、グラデーションDVの「後から思い起こすような自発性」という判断基準自体がとんでもなく危険なのだ。

 「後から思い起こすような自発性」自体の危険性は、その理屈をデートDV全般に適用してみれば明白だ。つまり、様々なデートDVのグラデーションDVを具体的に想像すればその危険性を理解することができるだろう。フェミニストであっても「後から思い起こすような自発性」の危険性が理解できるように、前節にて取り上げたデートDVの一類型であるデート恐喝から「グラデーション恐喝」を考えてみよう。

 では、峰ゆなか氏が「グラデーションレイプ」を定義したXのポストの文章の、対応する箇所を適宜置き換えることで「グラデーション恐喝」を定義しよう。

後から思い返してみると「あれは本当に私が自分の意思で支払いたいと思った"奢り"なのか……?なんか場のノリ的に断れなくて……でも、経済的DVってわけじゃないような……」という、自発的な奢りと強制された奢りの中間に位置する奢りを「グラデーション恐喝」と呼ぶことに決定しました

「グラデーションレイプ」と同型の「グラデーション恐喝」について (筆者作成)

 上記の太字で強調したように、自発的な奢りと強制された奢りの中間に位置する奢りを「グラデーション恐喝」と呼び、糾弾すべき不当な行為としよう。このとき、たとえグラデーション恐喝の告発に関する有利不利についてのジェンダー差が大きくなくとも、「グラデーション恐喝」という概念が存在することの危険性がフェミニストにも理解できるだろう。

 何といっても「以前に、アイツに奢ってやったけど、なんか雰囲気的に断れなかったからだよなぁ・・・」といった何ともアヤフヤな「後から嫌気がさしたという印象」を根拠にして、デートDV被害を主張をするのである。すなわち、相手への好悪の感情が反転している可能性がある時間的に後の時点で思い出した、当時の場のノリ・雰囲気を根拠に、表に出した意思とは逆の意思であった事を主張して、デートDV被害に対する償いを要求するのである。

 どう考えても、「グラデーションDV」概念は被害者が圧倒的に有利で加害者が圧倒的に不利な「デートDV行為」についての概念である。

 「グラデーション恐喝」は「加害者=女性,被害者=男性」となることの多いデートDV行為概念だから、フェミニストでさえその不公正さが理解できるだろう。グラデーション恐喝がデートDVの概念として社会通念となったとき、如何に女性が窮地に陥るか想像がつくだろう。

 ただし、ここで注意を促しておく。現在の様々な社会風潮・社会意識が変化していないと仮定して、グラデーション恐喝がデートDV行為であるとの社会通念が形成されたとしよう。このとき、女性が窮地に立ちやすくなる理由は、グラデーション恐喝の告発で訴えられる側に女性が立つことが多いことである。すなわち、男女のジェンダー意識において「女性は男性から奢ってもらう」という意識がある故に、実際に女性は男性から奢られる頻度が高いゆえに、告発される頻度も高くなるから窮地に立ちやすいのである。

 つまり、グラデーションレイプにおける、頻度の側面と周囲や社会の反応の側面双方での男性不利女性有利となる事態とは大きく異なっている。すなわち、グラデーションレイプの場合のような、個々の訴えにおける「一方の性別を冷遇して、他方の性別は厚遇する」という周囲や社会の反応で生じる女性不利男性有利という構造は、グラデーション恐喝にはないのだ。単にグラデーション恐喝を頻繁に行うのが女性であるから女性が不利になりがちというだけである。

 しかし、そうであったとしても、グラデーション恐喝がデートDVであるとの理解が社会通念となって、グラデーション恐喝で告発されることになる側に立つことが多くなるであろう女性にとっては、如何にグラデーション恐喝概念が危険であるか想像がつくのではないだろうか。

 以上のことから、グラデーション恐喝・グラデーションレイプを下位概念として含むグラデーションDV概念の危険性が理解できたのではないだろうか。

 ここで再度「グラデーションDV」概念の危険性を確認しておこう。

 グラデーションDVの危険性は「後から思い起こすような自発性の有無」によって判断することにより生じる。より詳しく言えば、その判断基準が以下の3点の手続的正義を満たすことが困難な性質を持つから危険である。

  • 相手への「好悪の感情が反転」している可能性がある時点での判断である

  • 客観的証明がほぼ不可能な、主観的印象の記憶である「過去の場のノリ・雰囲気」を根拠にする判断である

  • 当時において表明した意思とは反対の意思を「本当の意思」とする


■まとめ:日常的にデートDVを受ける男性達

 政府の公式見解から「デート代を支払わせること」が「デートにおける性的行為」と同等にデートDVと成り得る行為であることが確認された。すなわち、「日本社会において相手にデート代を支払わせることはデートDVに当たると政府は考えていますよ」という訳である(註3)。したがって、「デート代の全奢り」を好む好まざるに関わらず日常的に強いられていた日本男性は、政府の公式見解のデートDVの認識によれば、日常的にデートDVを受けていることになる。もちろん、奢りたくて奢っている場合については当然ながらデートDVではない。このことは、デートにおいて性行為を行ったとしても全ての場合がデートDVにならないのと同様である。

 「慣習的な関係性から非犯罪化していた認識枠組み」から「相手の自発性の有無によって犯罪となるか否かが決まる認識枠組み」へのコペルニクス的転回によって、デートDVの一類型であるデートレイプを認識したのだから、同様にしてデートDVの一類型であるデート恐喝を認識すべきである。すなわち、慣習的な関係性があろうがなかろうが自発性が無かったとき「非自発的性行為はレイプである」としたのと同様に、慣習的な関係性があろうがなかろうが自発性がなかったのであれば「非自発的金銭供出は恐喝である」とすべきである。このことは男性の自発的意思を尊重しない「男だから奢るべき」との考えに基づく女性の行動はデートDVの一種であるデート恐喝を行っていると言える。未だに「男だから奢るべき」との言説が非難されるべき言説と認識されずに堂々と主張することが許されている日本社会において、女性は些かなりとも罪悪感も感じる事なく、日常的にデート代を相手が男性ゆえに奢らせようとしている。逆側から言えば、日本社会において男性は日常的にデートDVを女性から受けている。

 フェミニストが賛同することも多いグラデーションレイプの概念を受け入れたとしよう。そのとき、グラデーションレイプを下位概念とする上位概念のグラデーションDV概念もまた受容すべきものとなる。そして、グラデーションDVの下位概念となる「グラデーション恐喝」について考えたとしよう。その考えに基づけば、「後から思い返してみると『あれは本当に私が自分の意思で支払いたいと思った"奢り"なのか……?なんか場のノリ的に断れなくて……でも、経済的DVってわけじゃないような……』という、自発的な奢りと強制された奢りの中間に位置する奢り」というグラデーション恐喝を、多くの男性は経験していることになるだろう。すなわち、女性がグラデーションレイプなるデートDVを主張する限りにおいて、男性もまた「グラデーション恐喝」と言う形で日常的にデートDVを経験していることになるのだ。




註1 引用元は以下のページ

註2 引用元は以下のページ

註3  政府の公式見解が何が何でも正しいということはない。しかし、その政府の公式見解に反する「デート代を相手に支払わせることはデートDVに当たらない」との主張をするのであれば、確かで妥当な根拠を提示する義務がある。つまり「デート代を相手に支払わせることはデートDVに当たらないことなんて常識じゃないか。そんなことを態々示す必要を認めない。それがデートDVに当たらないことを前提に議論したい」という態度は認められませんよ、ということである。
 そして、よく居る「『デート代を男性に支払わせること』は問題が無い」と無根拠に主張するフェミニストに対しては、無根拠にその主張することは許されないと批判することができる。なぜなら、その主張は不当行為に関する免責特権を女性は持っているが男性は持っていないことを意味しているからである。それゆえ、フェミニストはなにゆえ女性は政府が示す不当行為に関する免責特権を有するのか説明する義務があり、また、ジェンダー平等を主張するフェミニストであるならば、明らかにジェンダー不平等な免責特権の存在とジェンダー平等の価値がどのような整合性を持っているのか明らかにする義務がある。

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