おじいちゃんの硯箱
実家から持ち帰っていた硯箱を、久しぶりに拭きました。
こういうものは、使っていた本人や 家族には思いでぶかく、ほかの人には、ちょっとコワイ、重たい感じのするものです。
母からみれば、おじいちゃんは舅で やや「他人さん」寄りなのかもしれません。だから私に押しつけてきたのかなぁ‥ と、感じます。断っても、断っても、根気よく何遍も「これどうえ」「ほかそか(捨てようか)」「あんた要らへんか」「どないしよ(どのようにしようか)」と、訪れるごとに、ついでのように ひとこと、ふたこと。
これがつづくと、もう怖くて怖くて(笑い話に聞いてくださいね、でも、ほんとコワイ😅)熱を出したり、数日ぐったり動けなくなるのです(🔑そこを ぐぐっと切り替え、仕事には行けています🔒)。いっしょけんめい わがやの側の手持ちの本を整理して 売ったり、古いタオルを雑巾に切っては掃除して、場所を作り、ようやく持ち帰ります。
そして、しまいます。
孫娘は、思うのです。
なぁなぁ、おじいちゃん、なぁなぁなぁ、あさがお、なんでしぼんでんのん? なぁ、なんで なんで なんで? お花咲いてるほうがかわいいやん。せっかくつくるんやったら、かわいいほうがええやんかぁ、なぁ なんでー。。。って、そんなん、もう今、ゆわれへん。😆
でも まぁ、ええ感じかな。孫娘も 50を過ぎました♪
母と わがやは「こうあるべき・ありたい」という、暮らしの向きが違うので、おたがいが 色んなことに難儀します。
もちろん おトクなこともあります。あまえてしまう日もあるが、そこは なるべく抑えていくことにしました。なぜというと、このように思いもよらない「お返し」を、それこそ倍返しすることにも、なりかねないので。。。
💦これまで、私の手には あまるような いろんな汗をかきました💦
(母も、私のいきかたには 冷や汗のかきどおしだそうです🤣)
ときには その違いから、ふうふげんかの火種にもなってきました。
このごろ、ようやく「断る」ということを覚えた私ですが、地道な訓練の結果たどり着いた、いわば『秘技』。
しかし、50年あまりも かけて、自身の病気や 心あるカウンセラーさんのあと押しを経て ようやく得たこの『秘技』を、むすこは、母である私に対して なんのためらいもなく、遠慮もなく、ばんばん使ってきます。
すごいね。
私は「そうなん?」「へえー」というばかり。
つい、私が熱くなってしまう場面にさしかかると、むすこが「はい、ありがとう!」と、話を切ってきます。やるなぁ。。
むすこは、自分で感じ・考える余地をうめつくされることを、とても嫌います。親ばかですが、余白のある男と 受けとめています。
💡 箱のなかみは。。。これ♪
わがやの誰も、使いこなせない
いっしょに持ち帰った 木と布製の仏具(法具?)は、できるだけ丁寧にほどいて、切った半紙と塩とお米といっしょに、紙袋に包みました。
梅雨がくる前に、可燃ごみに出そうと思います。
小さな木魚は、また半紙にくるんで、硯箱と いっしょに しまいます。
こんどは、おばあちゃんちに どくだみを抜きにいかなくちゃ。
もう、咲きはじめたことでしょう。。。