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君はハードボイルドになれたか

武蔵野市緑町商店街の横にある小学校前で「西部警察」のロケが行われたことがある。そりゃ急いで駆けつけるさ。
そこで先ず目に飛び込んできたのが、ベージュのコート🧥をヒラリとさせたティアドロップの漢、寺尾聰だった。
「シャドー・シティ」「ルビーの指輪」「出航(さすらい)」がチャートインして、空前のヒット曲を飛ばしている最中だった。


その時、僕の脳裏には高層ビルの大きな窓からワインを片手に都会の砂漠を見下ろす大人になった自分を妄想していた。
あぁ、寺尾聰はなんてカッコいい大人なんだろう。こんな憧れって今に至るまでそうはない。

昭和40年世代は、夕方のテレビの再放送で「探偵物語」や「俺たちは天使だ」、「ルパン三世」などで、徹底的にハードボイルドの英才教育を受けた。
音楽面でもシティ・ポップと呼ばれる和製AORが隆盛を極めており、濱田金吾さん、松原みき、山口美央子、一風堂、RAJIE(「Acoustic Moon」は、「Reflections」と双子アルバム!)大貫妙子、久保田早紀(異邦人だけじゃないんだぜい)、陽水、ナイアガラ・トライアングルなどなどのアルバムがリアルタイムでリリースされていたミラクルな時代だった。



濱田金吾さんの「Gentle Travelin’」に針を落とした時の衝撃は、まだ僕のiPhoneの中で生き続けている。



あの頃の音楽は、YMOやピンクフロイドやマル・ウォルドロンやチェット・ベイカーやジョアン・ジルベルトやマルコス・ヴァーリやカーティス・メイフィールドと細胞の中で一つになって、20年後に吐き出すことになる。


二十代の全てをモッズコート着てUK系バンドの活動に費やしたけど、まあそれも僕の傍若無人さで幕を閉じた。
その後、ポッカリ空いた心の中からくっきりと浮かび上がってきたのが「ハードボイルド」の文字だった。
もう十分に大人の年齢に達したけど、寺尾聰にはほど遠い。
漢字だって子供の頃の丸文字みたいなまんまだ。
霧雨に煙る摩天楼を見下ろしたこともない。
ワインどころか下戸だった。ティアドロップもコートの襟も立ててないし。


不満を捲し立てると「おら東京さ行くだ」みたいだな。

何処で何を間違ってしまったのか。
なりたい自分になってないじゃん。

こりゃいかんのだ。
これでいいのだ、の反対なのだ。

そうこうするうちに、時代がハードボイルドを忘れた。
LGBTQも、女性の地位向上も、同世代のジジイの中で誰よりも大賛成だけど、ハードボイルドが足りないのは心底淋しい。

昔、誰かが「俺のロックンロールまで死のうとしている」なんてコラムを書いていたけど、僕のハードボイルドは死んでいない。
お腹ポッコリで毛量が減って、服のサイズがXLになったとしても、僕のハードボイルドは年々増していく。
「人間は見てくれじゃないんだ。」
そう言い聞かせて、なりたい自分への旅は続くんだよ、Habana Expressに乗ってさ。






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