毒親育ちで自死遺族になったので水商売で働いてみた話①
タイトル通りである。
何故、私が水商売をすることになったのか、経緯を書こうと思う。
水商売時代にどうやって指名を取っていたか等は下の記事に纏めてあるので、ご興味のある方はよかったらどうぞ🔻
うちは父が働いていて母が専業主婦の家庭だった。
父はお堅い職業で、母も独身時代は人から信用を得やすい職業に就いており、弟は北海道では珍しく私立の中学校を受験し(幼稚園にしろ何にしろ、高校より前のお受験はまだまだ北海道では珍しい気がする)、中高一貫制の進学校に進学、親戚にもお堅い職業の人達が多い。
私はよく真面目だと勘違いされるが、俗に言う真面目系クズで、授業中に静かに板書をして授業を真剣に聞いているように見せつつ自分の世界に入って別のことを考えている成績の悪い生徒だった。
自殺した弟は一流の大学、大学院へ進学し、私は三流大学に進学した。
端的に言うと、私は一族の落ちこぼれだった。
親は残念ながら毒親で、特に教育虐待が酷かった。
私はテストの点数が69点以下だと顔面をぶたれたり、頭から水をかけられたり、土下座を強要されて渋々土下座すると良さ通りその頭を踏み付けられた。
優秀な弟は90点で怒られたことがあり、泣きながら興奮して鼻血を出したことまである。
弟は基本的に100点しか採らなくて、たまに95点だったので、毒父は「95点以下は認めない」的なことを言っていた。
基本的に成績の悪い私は眼鏡をかけていて、物というのは人間と違って治癒能力が無いから、壊れると修理をしないといけない為、私の顔面をぶつときは眼鏡を外すように言われた。
「眼鏡を外せ」
これは、毒父から顔面をぶたれる合図だった。
だから、私は今でも勝手に眼鏡を外してこようとする奴は嫌いだし、信用していない人の前ではなるべく眼鏡を外したくない。
視界を奪われると勝てる喧嘩も勝てなくなる。
ただ、どうしても会いたくない奴に会わなきゃいけないときに、信用はしていないけど顔すら見たくないから眼鏡を外して会うこともある。
これをやっているのは私だけかと思っていたら、普段コンタクトを使用している友達も同じことをしていて驚いた。
そんなこんなで中学生くらいにもなるとコスメに興味がわくわけで。
あるとき、友達と100均で透明なグロスを買った。
で。毒母に即没収された。
そんなものは待たなくていい、メイクなんて覚えなくていい、と。
私はそれもあってお洒落に目覚めるのが遅かったと思う。
眉毛を自分で整えること、無駄毛処理も禁止されていた。
運動会で仲良しの男子同級生から、「お前、無駄毛処理してる?」と聞かれたときは恥ずかしかった。
高校生になった。
私の世代は、皆高校進学と同時に携帯電話を持たせてもらえていた。
でも、うちの毒親は携帯電話を持たせることを反対した。
結果、初めて携帯電話を手にしたのは高校二年生のときだった。
周りは携帯代を文が支払っているのに、私は少ないお小遣いから自腹を切るはめになった。
更に、勉強にうるさいのでバイト禁止。
弟に関しては、大学生になって初めて携帯電話を持った。
いくらなんでも遅過ぎる。
そして、初めての彼氏ができた。
相手は大学生だった。
電話をしていると、「何処の男なの!?代わりなさい!」と毒母が怒鳴り散らしてくる。
その声は当然彼氏に聞こえて恥ずかしかったし、代わりたくもない。
毒母からの攻撃は止まず、「何処の大学の男なの!? 学生証の写真を送らせろ!」とまで言ってくる。
私は彼氏に泣く泣くお願いして、それを送ってもらった。
しかし、当時はガラケーである。
スマホのように画質は良くなく、「これじゃ、何処の大学か分からないじゃない!」とまたキレられた。
因みにね、学歴コンプな貴方の大好物な、あの慶應義塾大学という高学歴の持ち主でしたよ。
あるとき日帰りでデートをした際に、その日は人生で初めての、深い仲になる行為をした。
そうなるだろうと思っていたから、着替えに下着を一枚持参した。
いつも通り、洗濯物を洗濯籠に入れた。
毒母はブチギレた。
「あんた、処女じゃないでしょ!? どうして下着が二枚もあるのよ!?」と怒鳴り出した。
え、そこまで見てるの……? と、ドン引きした。
次にできた彼氏とは、よりにもよってお泊まりデートのときにインフルエンザになって帰宅することになった。
帰宅すれば専業主婦の毒母がいる。
当然、彼氏と毒母は対面する。
毒母は結婚するまで処女でいなさい!という考えで、彼氏をリビングで説教しだした。
「でき婚ってね、離婚率が高いの」と切り出し始めた。
このときの彼氏の当時の年齢は高校三年生である。
そして、彼氏が帰宅した後、「お前じゃなくて、お前の祖が無理」と言われてフラれた。
そりゃそうだ。こんな化け物が身内に居る女より、もっと安心してお付き合いの出来る女性なんて他に山のように居る。
私はこのときの彼氏とはペアリングを交換して、自宅でも着けていたのだが、別れてからは外した。
すると、リビングから毒父が「あいつ、絶対別れたぞ」と毒母と嬉しそうに話していた。
毒母からは「男なら誰でもいいんでしょ?」「売女」とまで言われたが、私は恋愛感情の無い相手とそういうことをしたことがないくらいには、その辺は少なくともだらしなくはない自信がある。
真面目系クズの、一応真面目な部分である。
私はは優秀な弟と比べられることに嫌気が刺して冷戦状態だったが、後に、弟に「私はおかしいの?」と聞いたら「そんなことない」的なことを言ってくれて、仲直りが出来た。
そして、いじめが始まった。
いじめの定義は人それぞれだと思うが、学校でいじめられたことのない私は、家庭内でいじめられた。
まず、私は汚いらしいので私の洗濯物だけ洗ってもらえなかった。
ただまあ、これは別にいい。
洗濯くらい自分でやれば何とかなる。
次に、「あんたは汚いんだから入浴は最後にするように」と言われた。
入浴したらしたで、ドアの向こうから脱衣所で毒父が説教だか文句だか五月蝿いことを言ってくるので、頭に来て洗面器でお湯(熱湯ではないよ!)を掬った後、浴室のドアを開けて毒父目がけてかけてみたりもした。
それでもいじめは続き、入浴中に浴室の電気を消されたり、まるで小学生のいじめのようなことをされた。
更には、大学の学費を出さないと言い出した。
これでもう何かがプツンと切れて、私は人生初めての家出をした。
しかしだ。私は真面目系クズである。自他共に認めるが真面目な部分もある。
なので、男の家を渡り歩く、なんてことは出来ない。
まず、以前からうちの事情をこっそり気に掛けてた叔母(母の姉妹)のところへ行った。
叔母はすぐに事情を飲み込んでくれて、「いつかこうなると思ってた」と泊めてくれた。
「毒母ちゃんはね、固すぎるのよ。ここに居ることは内緒にして少し困らせてやろ」と面白いことを言った。
そこで、叔母から驚きの事実を聞かされた。
「毒母ちゃんね、職場の上司と不倫したことがあるって相談してきたことあるんだよね」
は? 私と弟に恋愛禁止にさせておいて? 私を売女呼ばわりした奴に、不倫経験が、ある?
この不倫のことは毒父も知っていたことが後に判明する。
思い返してみれば、毒母は「一度だけ毒父にビンタされたことがある。これも愛よ」と言ってたときがあり、私はてっきりDVの現実から目をそらす為に自分にそう言い聞かせているのかと思っていたけど、そのビンタされたときというのはもしかして不倫の件ではないのか?
更に後に判明するが、毒母からしたら姑に当たる父方の祖母もそれを知っていた。
毒母は学歴コンプで、パートナーは絶対大卒でないと嫌だと言ってたことがある。
だとしたら、婚約中でもよりスペックの高い男を狙ったのでは?
あわよくば、乗り換えようとしたのでは?
毒母の性格的に遊びでそういうことをするタイプではない。
下手したら、心まで奪われていた可能性もあるのでは?
そして、自分と同じ失敗をさせない為に、子供への恋愛禁止なんていう極端な行為に走ったのではないか?
そしてこの考えは、何年も後に確認したときに当たってた。
不倫相手に恋愛感情があったかまでは分からないけど、子供に失敗させない為に恋愛禁止にした、と。
なんて奴だ。その失敗は毒母の負債だ。
その負債を子供に背負わせるなんて身勝手過ぎる。
その後も、私は友達の家にも泊まらせてもらったりしていたら、毒親から電話が来て、学費は出すから帰ってこい、となり私の家出は終えた。
大学三年生になった。
新しく彼氏ができた私は、もう彼氏の存在すらバレては駄目だということで対策を練った。
私はオタクで、イケメンと恋愛が出来る恋愛シミュレーションゲームも好きだった。
なので、ときめきメモリアル Girl's Side を購入し、リビングにあるテレビとプレステ2で、来る日も来る日も二次元のイケメンに口説かれているところを見せ付けた。
大抵のゲームでは名前を呼んでもらえないのに、このゲームはなんと名前まで呼んでくれる。
機械なので多少イントネーションがおかしかったりするが、私は彼氏と恋愛しつつ、家ではときめきメモリアルGirl's Side をプレイし続けた。
二次元のイケメンから本名を呼ばれて口説かれている様子を矢張り専業主婦の毒母は見ていた。
ほんと専業主婦のせいか、いつも家に居るな、こいつ。
どんな気分でその光景を見ていたかはどうでもいいけど、この作戦や他にも様々なことに気を付けたおかげで、この彼氏の存在は別れるまでも別れた後も毒親にバレることはなかった。
恐ろしい話をもうひとつ。
恋愛禁止を言い渡された私達姉弟だが、出来の悪い私は毒父から「大学生になったのならバイトくらいしろ」と言われたが、優秀だった弟は「勉強だけしていればいい」とバイトまで禁止されていたことを、弟の死後に知り、私はそのとき生まれて初めて毒父の顔面をぶん殴った。
否、ぶん殴ったと言っても私のパンチなんて痛くはないけど。
でも、私にそんなことをされると思っていなかったのか、毒父は驚いた顔をしていた。
自分は私に散々してきたくせにね。
ついでに、それを毒母が止め出した。
私が毒父から暴力を振るわれているときは、いつも無視して茶碗洗いをしていたのにね。
てか、そんなに毎回茶碗洗いして、どんだけ茶碗あるんだよ。
そんなに無いだろ。無いからゆっくり洗っていたとか、そんな感じだろ。
長くなったので、一旦此処まで。
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