儚く散った夢 ショパン
前回、ジョーン・バエズの歌を聴いて泣いちゃったというお話をしました。
今回はその直後、同じ授業でまたもや音楽を聴いて泣いたお話です。
涙もろくなったのでしょうか、それとも心震える音楽に出会える機会が多い時期だったのでしょうか。
その曲はショパンの『幻想即興曲』。
一度は誰でも聴いたことのあるあの曲です。
ピアノをやっていた私は死ぬほど聴いた曲なのに、またもや音楽の先生の解釈を聴いて泣いてしまいました。
意味を知っているのといないのとでは、音楽の聴き方は全く異なるということですね。
ここからは先生の解釈に、自分の解釈もつけた『幻想即興曲』のお話。
静まり返った会場に、いきなりソシャープが鳴り響く印象的な始まり方のこの曲。
その後、楽譜でいうと見開き1ページ、右手も左手も休むことなく鍵盤を叩き続けます。
その部分はせわしなくすぎる日常を表現しているのだと思います。
ショパンは20歳で故郷ポーランドを離れ、パリに向かいます。
人気者になったショパンには、息つく暇もなく、もちろん故郷のことを思い出す暇もなく何年も何年も過ぎて行ったのでしょう。
しかし、彼の心の隅にはいつもポーランドで過ごした子供時代や、家族がいたのです。
ある時、彼は故郷の風景を思い出します。
それが中間部分の美しいメロディ。夢のような時間。
歩きなれた道を進むと、懐かしいあのドア。
ドアの前でフッと一息ついて開けると、母がキッチンからバタバタと迎えてくれてその聞き慣れた足音にまた安堵する。
母とのぎこちない会話を終えてリビングに入ると、そこには大きなテーブルに夕食の準備、そしてソファで本を読む父親の姿。
「おう、帰ったか」とだけ父は言い、また本に目を戻す。
部屋の隅の柱時計もあの頃のまま、ずっと一定のリズムを刻んでいる。
自分の部屋は、お気に入りの本もステーショナリーも、ベッドに隠した日記も出て行ったそのままの姿で迎えてくれる。
外に出れば、幼馴染とすれ違って世間話をし、あのお気に入りの丘で夕日を眺める。
忙しい毎日に追われ忘れていた自分をやっと取り戻す、そんな感覚に襲われて涙がほおを伝う。
その瞬間、その美しい夢は崩れて現実に引き戻される。
中間部分の最後の音は完結しないまま、またせわしない音符の連打に流されてしまうのです。
その瞬間、その儚さに涙が溢れて、誰にも気づかれないようにハンカチを目に当てました。
たった1音の有無で感動して、そのこだわりに胸打たれました。
さて、ショパンは20歳で故郷ポーランドを出たきりそのまま再び故郷の土を踏むことはありませんでした。
出発する時、ショパンは帰れないことを悟っていたのでしょうか、ポーランドの土をグラス一杯分持ち、生涯大事にしていたそうです。
ショパンの死後、その思いを汲み取って心臓は姉によってポーランドへ帰郷しました。
この中間部分の最後が完結しないことで、故郷への夢が儚く散っていく様子を表現したのです。
曲の最後の部分、
右手は16分音符の連打ですが、左手があのテーマを歌うのです。
その瞬間、忙しい日常のほんの一瞬、ノスタルジー・夢がもう一度現れて
そして曲は終わりを迎えます。
今ではショパンの曲の中でもトップクラスに有名な曲ですが、ショパンはこの曲を公表していませんでした。
遺言には捨ててくれと書いてあったほどですが、ショパンの死後この曲は公表され世界に広まったのです。
しかし、晩年に書かれた曲ではありません。
39歳で亡くなるショパンですが、25歳の時にこの曲は書かれています。
処分したいと思いながらも、自分ではできなかったのでしょう。
14年も手元に置いたままの名曲は、今日も誰かの耳に届いているのです。
これは私の解釈なので、実際とは違うかもしれません。人によって違うと思います。是非聴いてほしい。
この曲を聴いた直後、ピアノの先生から「幻想即興曲やる?」と提案され運命を感じました。
なんでこの先生は私が幻想即興曲に感動したことを知っているんだろうと本気で不思議でした。
クラシックピアノ生活最後の曲だったので、ちゃんとショパンを勉強して、自分なりの解釈をつけて演奏しようと必死でした。
それまでちゃんと解釈や作曲家の意図を勉強せずにピアノを弾いていましたが、初めて作曲家の思いを代弁するのがクラシックを演奏する意味なのではないかと思いました。
しかし、もうその頃にはクラシックをやめることにしていたので、本当に最後の最後に気づいたという感じです。
遅すぎ。