能動的な卒業式

 私の学校でも先日卒業式が行われました。new coronavirus(新型コロナウイルス)の影響で最低限の人数での実施となり、私は送る側の人間で参加はできませんでした。つい一週間まではもうすぐ卒業式だね...といつも通りの卒業式があることを当然のように思っていましたが、そうはなりませんでした。「人間いつ死ぬか分からないから後悔の無いように生きろ」とか言うつもりもないですし、卒業式という形が無くなっただけと私は思っています。

 もちろん先輩方にとっては保護者の方や後輩に直接祝ってもらうのが一番うれしいものですし、私達も直接会って送りたかったです。

 私達は自宅からSNSでお祝いを伝えました。この瞬間卒業式は受動的なものから能動的なものに変化しました。

 どういうことか説明します。卒業式はまず学校行事です。そして学校行事は卒業式の他にも文化祭、マラソン大会、合唱コンクール、体育祭などがあります。ここでもし学校行事ではなく、自主参加になった場合どうなるか考えてみます。

文化祭は多分みんな好きです(じゃあなんで例に挙げたんだ...)

 マラソン大会はどうでしょう?走るのが好きでない人は走らないくらい嫌いだと思います。(適度に走って疲れて、アドレナリンが出てるの感覚を楽しめばいいのに...とは思いますが。)

 次は合唱コンクール、これはみんな嫌いなので次に行きますか...。というのは冗談で、僕が嫌いなだけです(笑)。音楽が好きな子を僕が好きだったので頑張りはして音程だけは外さないようになりましたがどうしてもうまくいかず(地声で歌っている?)。

 自分語りはこの辺にして次!体育祭!これはもう、もーーすごい好き嫌い分かれますね。運動が苦手な人が晒上げられるなんて言う人も多くいます...汗。たたみかけますと(新接続詞)、保護者がこれを言うなんて言語道断であると私は考えます。運動が苦手な子でも精一杯動いている姿は最高にかっこいいです。それを当人でもない人が...つい熱くなってしまいました。

 まとめて言いたかったことは、学校行事はそれぞれ好きな人と嫌いな人がいて、やりたい人とやりたくない人がいる。そして、卒業式も例外ではないということです。

 つまり、卒業式が受動的なものから能動的なものになった瞬間、関わってくる人が卒業式が好きな人、したい人だけになるのではないでしょうか。形はそれぞれですが送る側の人はアクションを起こしたほうがいいと思います。卒業生は感謝されたいです。


 長々と失礼しました。note初めての投稿で普段Twitterでしゃべりきれないことを書いたりしていました。自分本位の書き方なのでめちゃんこ「ん!?」ってなったと思いますが、一応一人称、文体などは当時の年齢やこの文を制作中の気持ちに沿って変えていますのでもう一度読んでみるのもありよりのありかなって。

ではまた次の記事で、


#みんなの卒業式

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