19歳が見てきた教師

 私は現在専門学生であり、小・中・高校、大学とたくさんの先生にお世話になってきた。そして現在の学校の教師は教授や准教授、技能員がしている。

 私は教師を呼ぶとき「〇〇先生!」と呼ぶ。この「先生」について、そう呼ぶことに初めて疑問を持ったので少し考えていきたい。

 私は教師という言葉をあまり使わないので、ここからは全て先生とする。

 また、先生は担任の先生とする。

 小学生の時、私から見た先生は「親」と似たような感覚だった。むしろ親よりもいいところは褒める、悪いところは叱るができていたとさえ思える。親はやはり自分の子に甘いのだろう。と今になって思ったりしてみる。

 中学生の時、私から見た先生は「恐怖」と「先生」だった。せっかく「」を付けたのにもかかわらず「親」に対していい比較対象とは言えなくなってしまった...。話を戻すと、恐怖と先生の2つがあるのは、3年間のうち2人先生がいてそのうちの一人があまりにも怖かったためだ。例えるなら「なまはげ」くらい怖い。もう一人の先生は中学生である私たちをたまにからかって遊んでいた。みなさんもそうであると思うが、「中学生の思考」など簡単に読めるのである。もしかしたら皆さんにとっては「中学生の思考」が「未成年の思考」でもあるのかもしれない。その場合、私たちは黙って思考を読まれるしかない...。大人になかなか口論で勝てないのもそのせいだろう。

 あぁ...また脱線してしまった。次に行こう。

 高校の時の先生は、「友達よりの先生」だった。先生は僕たちが好きで好きでたまらないようだった。これが偽りだったと知ったときはもう人を信じれなくなりそう、といった感じだ。「しっかり先生もしてくれていた」。

 「先生もしてくれていた」この「先生」という単語の中には私の持つ限り最大の先生としての理想の仕事というか、いいことをあるだけ詰め込んだようなもの((笑))がつまっている。説明はこれが限界だ、多分。

 ここからが本題だ。無駄なことはもう書かない。

 僕は今まで色々な先生と出会った来たが、先生を先生と呼ぶのに疑問を感じたことは一度もなかった。

 これまでの先生は「先生」とこどもの関係で、今は「大人」と「大人」の関係になったのだろう。

 僕も成長したなあ。落ちはないかもです。読んでくださりありがとうございました。


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