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本日の一曲

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さくらMusic officeでは、新企画「本日の一曲」をスタートしました! この「本日の一曲」では、ジャンルにこだわらず、時にはアーティストや時代背景にも触れながら、誰もが知…
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#クラシック音楽

本日の一曲 vol.334 エマーソン・レイク・アンド・パーマー 未開人 (Emerson, Lake & Palmer: The Barbarian, 1970)

前回、キース・エマーソン(Keith Emerson)さんのピアノ協奏曲(Piano Concerto No.1)をご紹介しました。 本日は、ELPがデビュー当初からカバーしてきたクラシックの曲を拾っていきたいと思います。 エマーソン・レイク・アンド・パーマー (1970)ファースト・アルバム「エマーソン・レイク・アンド・パーマー(Emerson, Lake & Palmer)」に収録された「未開人(The Barbarian)」は、ベーラ・バルトーク(Béla Bart

本日の一曲 vol.332 ピアノ・トリオ集補遺 ハイドン ピアノ三重奏曲第40番 (Franz Joseph Haydn: Piano Trio No.40 Hob.XV:26, 1795)

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)さんのピアノ三重奏曲第38番(Hob.XV:24)・第39番(Hob.XV:25)・第40番(Hob.XV:26)の3曲は、ハイドンさんの2回目のロンドン・ツアー(1794~1795)の最後の数週間に作曲されたもので、当時のハイドンさんの恋人だった在英のレベッカ・シュローター(Rebecca Schröter, 1751-1826)さんに献呈されたものです。 レベッカさんは、ピアニストであったヨハン・サミュエル・シュローター

本日の一曲 vol.331 ヴィオッティ ヴァイオリン協奏曲第23番 (Giovanni Battista Viotti: Violin Concerto No.23, 1792)

ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ(Giovanni Battista Viotti)さんは、1755年5月12日、現在のイタリアにあったサルデーニャ王国のフォンタネット・ポー(トリノの北東約40キロ)で生まれ、先日ご紹介したフリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler)さんの「前奏曲とアレグロ(Praeludium and Allegro)」の作曲者とされていたガエターノ・プニャーニ(Gaetano Pugnani)さんの弟子になり、ヴァイオリンや指揮法などの

本日の一曲 vol.329 クライスラー プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ (Fritz Kreisler: Präludium und Allegro im Stile von Pugnani, 1905)

1875年2月2日にウィーンで生まれたフリッツ・クライスラーさんは、まずヴァイオリニストとして有名ですが、数々のヴァイオリン曲の名曲を作曲し、作曲家としても有名です。 クライスラーさんは、7歳から10歳までウィーン音楽院でブルックナー(Anton Bruckner)さん、ドント(Jakob Dont)さん、ヘルメスベルガー(Joseph Hellmesberger Jr.)さんたちに、10歳から12歳までパリ音楽院でドリーブ(Léo Delibes)さん、マサール(Lamb

本日の一曲 vol.262 打首獄門同好会 音楽依存症生活 (2013)

打首獄門同好会については、以前ご紹介しました。 本日ご紹介する「音楽依存症生活」は、音楽ファン、あるいは音楽を日常的に鑑賞している人々にとっての真実を指摘した歌が歌われています。 音楽に魅入られた俺達は 耳の穴から注いだ何かを どういうワケだか力に変えてる 音楽依存症の俺達は 今日も不快にまみれた世界を テンションだけで切り抜ける テンションだけで乗り切れる 音楽のリスナーは、耳から入ってくる何かによって、なぜか気持ちが変化して、その変化を享受しているわけです。 リ

本日の一曲 vol.121 ダヴィッド・オイストラフ ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番 (David Oistrakh: Dmitri Shostakovich: Violin Concerto No.1 a moll, 1955)

曲紹介ドミートリィ・ショスタコーヴィチさんのヴァイオリン協奏曲第1番は、作曲自体は1947年~1948年ですが、1948年に「ジダーノフ批判」(ヨシフ・スターリンの意を受けて、ソ連共産党中央委員会書記のアンドレイ・ジダーノフが『社会主義的リアリズム』に反する音楽などの芸術を批判・弾圧したこと)が始まったので、ドミートリィさんは、曲の発表を控え、1953年3月5日にスターリンが死に、その約2年後の1955年になって発表したものです。 初演は、その年の10月29日、この曲を献