マガジンのカバー画像

本日の一曲 20世紀第3四半期の音楽

89
連載「本日の一曲」のうち、1951年~1975年の音楽をまとめました。
運営しているクリエイター

2024年2月の記事一覧

本日の一曲 vol.196 アイアン・バタフライ ガダ・ダ・ヴィダ (Iron Butterfly: In-A-Gadda-Da-Vida, 1969)

アイアン・バタフライは、1966年に結成されたアメリカ・サンディエゴ出身のバンドで、解散、再結成を繰り返し、オリジナル・メンバーのロン・ブッシー(Ron Bushy)を中心に活動していましたが、そのロンさんも2021年に亡くなってしまい、おそらくもう活動は休止せざるを得ない状態になっています。 本日ご紹介するのは、彼らの最初のヒット曲と言ってよいかと思いますが、1968年にリリースされた「ガダ・ダ・ヴィダ」です。同年に同名のアルバムもリリースされ、アルバムに収録されたバージ

本日の一曲 vol.195 ショスタコーヴィチ ヴィオラ・ソナタ (Dmitiri Shostakovich: Viola Sonata, 1975)

この「ヴィオラ・ソナタ」はショスタコーヴィチ(1906生~1975没)さんの最後の作品です。この曲はモスクワ音楽院の教授であり、ベートーヴェン弦楽四重奏団のフョードル・ドルジーニンさんに献呈されました。 ショスタコーヴィチさんのドルジーニンさんへの説明によると、「第1楽章は短編小説、第2楽章はスケルツォ、第3楽章はベートーヴェンへの追悼だが、あまり惑わされないように」ということだったそうです。ドルジーニンさんご本人による演奏です。 第1楽章。アルヴァン・ベルクの遺作である

本日の一曲 vol.193 ショスタコーヴィチ 交響曲第10番 (Dmitri Shostakovich: Symphony No.10, 1953)

ショスタコーヴィチさんの交響曲第10番は、大顰蹙(ひんしゅく)を買った交響曲第9番の後、交響曲としては8年間の空白を経て、ヨシフ・スターリンが死んだ1953年3月から作曲を開始し、同年12月にエフゲーニ・ムラヴィンスキー(Evgeni Mravinsky)さん指揮、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で初演がなされました。 演奏時間は約50分で、30分近くかかる重苦しい第1楽章からはじまり、苛烈な第2楽章、優美な第3楽章、喜びが爆発したとしか思えない第4楽章からな

本日の一曲 vol.190 小澤征爾 武満徹作品集(1967, 1969)とマーカス・ロバーツ・トリオとのガーシュウィン(2005)

小澤征爾さんの安らかな眠りをお祈りします(1935.9.1 奉天~2024.2.6 東京)。 (by R)

本日の一曲 vol.186 ピーター・バラカン ジャイアンツ・オブ・ソウル (Peter Barakan: Playlists "Giants of Soul", 1986)

ピーター・バラカンさんは、日本で活躍されているラジオ・パーソナリティあるいは音楽評論家ですが、ピーターさんが1986年にNHKーFMで「ジャイアンツ・オブ・ソウル」と題する5日間の番組を担当し、そこで1950年代~1970年代の「ソウル・ミュージック」を紹介していました。とても素晴らしい選曲でしたので、ご紹介します。 プログラムは5夜でした。ソウル・ミュージックのエッセンスと言えるものばかりで、現代のポップ・ミュージックは、これらの曲が土台(ベース)・礎(いしずえ)になって

本日の一曲 vol.183 スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン ダンス・トゥ・ザ・ミュージック (Sly & The Family Stone: Dance To The Music, 1968)

スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンは、スライ・ストーン(Sylvester Stewart, "Sly Stone"、写真一番手前)さんの3人兄妹、弟でギターのフレディ・ストーン(Freddie Stone、3列目中央)、妹でヴォーカルとキーボードのローズ・ストーン(Rose Stone、2列目中央)さん、ベースのラリー・グラハム(Larry Graham、2列目右)さん、ドラムのグレッグ・エリコ(Greg Errico、3列目左)さん、サックスのジェリー・マティーニ(

本日の一曲 vol.179 ザ・ローリング・ストーンズ ホンキー・トンク・ウィメン (The Rolling Stones: Honky Tonk Women, 1969)

ホンキー・トンクとは、アメリカの主に白人が集まる安酒場という意味だそうです。ホンキー・トンク・ミュージックとは、その酒場での音楽であり、いわゆるカントリー・ミュージックのことかと思います。 そのホンキー・トンクではイカした女がたむろしていたようで、「ホンキー・トンク・ウィメン」とは、その女達のことです。歌詞の大意は…説明不要かと思います。 先日、クリームのホワイト・ルームを紹介しました。そこで、シングルの日本盤のジャケットについて言及しました。ローリング・ストーンズの「ホ

本日の一曲 vol.178 ディープ・パープル 紫の軌跡 (Deep Purple: Playlist "Purple Passages", 1972)

1970年代、ハードロックといえば、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)かディープ・パープルかという楽しい論争がありました。論争と行っても、それぞれの推しがめいめいの推しの気持ちを言い合うというものでしたので、決着がつくことはありません😄 ただディープ・パープルの場合、ハードロックになったのはヴォーカルがイアン・ギラン(Ian Gillan)さんが担当したいわゆる第2期からと言われていて、第2期には、スピード・キング(Speed King)、ハイウェイ・スター(

本日の一曲 vol.177 クリーム ホワイト・ルーム (Cream: White Room, 1968. cf. "While My Guitar Gently Weeps" & "Layla")

クリーム(Cream)は1966年から1969年までの3年間活動したイギリスのバンドであり、メンバーは、ジンジャー・ベイカー(Ginger Baker, Drums)さん、エリック・クラプトン(Eric Clapton, Guitar)さん、ジャック・ブルース(Jack Bruce, Bass)さんの3人でした。その他、プロデューサーとしてフェリックス・パッパラルディ(Felix Pappalardi)さん、作詞者としてピート・ブラウン(Pete Brown)さんがいました。

本日の一曲 vol.176 カルメン・マキ&OZ 私は風 (1975)

カルメン・マキさんは、十代で寺山修司さんの劇団「天井桟敷」に入団し、その初舞台でレコード会社の目に止まり、歌手契約をしました。1969年に寺山修司さん作詞、田中未知さん作曲で「時には母のない子のように」をリリースし、これが大ヒットしました。 その後、同じ路線で3枚のアルバムを出しましたが、ロックに転向し、竹田和夫さんらとのアルバム「カルメン・マキ&ブルース・クリエイション」を制作しました。 そして、その後、新しいバンドを結成し、1975年にカルメン・マキ&OZ名義で同名の