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デザイナーになれなかったわたし 2

1の続きです。
(たくさんのスキ♡ありがとうございます!嬉しくて泣いてます!!)

売れてきたのに企画は通らない日々

ある程度売れるようになってくると、既存ブランドのオリジナル仕様やオリジナル商品の企画をやって欲しいと依頼を受ける様になりました。
経験が無いながらも、売りたいものを作るということに、とにかく楽しそう!と思い、あれやこれやと企画をして提案をしていきました。
ところが、ここで大きな落とし穴があるのです。
私が売りたいもの=お客様が欲しいもの
では無いという事です。
ここをすっかり見逃していた(というより気付いていなかった)私は、『わたしが欲しいと思う仕様の商品』の企画を立てて立てて立てまくって、次々に不採用になりました。一部採用になった商品もありますが、全然売れなくて過在庫に苦しみました。
めちゃくちゃ頑張って企画したのになんで??
また負の連鎖が始まります。
頑張っているのに報われない仕事をやる意味があるのか、自分はこの仕事が向いていないんじゃないか、そもそもやりたかった事じゃなくない?
フツフツと黒い感情に飲み込まれていき、ますます良い企画なんて出てこなくなり、MDと会うことも嫌になり、仕事にも身が全く入らなくなりました。

カタログ担当からテレビ担当へ

企画が通らなくて仕事がつまらなくなってきていたわたしですが、販売媒体が増え、商品の展開数が増えたため、自分自身の企画は通らなくても売上は伸びていきました。そんな環境もつまらなかったのかもしれません。自分じゃなくても、誰が提案しても通る提案なら、わたしじゃなくても良いやん、と。
そんな中、次のステップとして用意されていたのは、テレビ通販の担当でした。
販売する商品は同じでも、何もかもが違います。
台本の構成から、商品紹介者(ゲストさんと呼んでいます)のスケジュール調整、演出の確認、提案、出演番組の演者さんへのプレゼン…細かく書き出すともっとありますが、それら全てをまるっと渡され、もう無理…と思った記憶があります。
ただ、そこで辞めるのも悔しいので、辞めるなら成果を出してから辞めよう、と思い、各局の通販番組を録画し、それを見ながら台本を想像し、自社商品でも出来る演出は真似をし、わからないことはとにかくMDに聞き、自分の思いつく限りの事をしました。今思えば、良い迷惑だったかもしれませんが、MDへ何回もお会いする機会をいただいて、0から沢山の事を教えていただきました。
その結果、順調に売れていき、最初は地方局だけだったのですが、東京のキー局への提案も担当する様になりました。

期待されてない空気と初めてのキー局

その当時(2013年頃)、ショッピング専門チャンネルでは順調に売れていたものの、キー局には全く相手にされていませんでした。
東京の営業担当がアプローチしていても、全く決まらないというので、わたしに回ってきたという事なのですが、当然、わたしも決められません。
半年くらいは毎月通いながら提案を続けていく中で、某局の担当MDが昇進し、アシスタントMDの方がMDデビューする事になりました。その、「新人MDのお試し商品枠」というのに選んでいただけたのです。
「まあ、売れないと思うけど、売れなくても気にしなくて良いから」
目の前で言われました。
全く期待されていない事がわかり、悔しくて泣きました。でも、泣いている場合では無いし、絶対売ってやると思いました。
・視聴者の層
・他商品の演出
・地方局で売れた時の演出
・演者のキャラクター把握
などなど…考えに考え抜いて収録に臨みました。
ロケや収録の際も、あからさまに期待されていない感がひしひしと伝わりました。あー売れない事にはこの空気をひっくり返せないな、と思いました。
無事に収録が終わり、あとはOAを待つだけとなっても、用意した数が本当に全部売れるのか不安でたまりませんでした(地方局の5倍以上の予算がついていました)
OA当日、大阪では放送が見れないので、吐きそうになりながら速報を待っていたら、MDから電話があり、
「さとうさん!大変!売れすぎて準備数完売しちゃった!追加できますか??」
そこから、バタバタと追加数の確認やら各方面への調整をし、1日が終わりました。
担当MDや、その上司、社内からの称賛の声、他局からの問い合わせ…
この日のことは、ずっと忘れないと思います。この日から、また大きくわたしの目の前の世界が変わりました。

売れる営業マン

あの日から、各キー局からも問い合わせがあり、提案をするとすぐに通り、放送されれば売れるのでリピートになり、他のラインナップも提案すれば売れるという好サイクルに入りました。わたしの成績はどんどん上がっていました。嬉しい!やったー!!という気持ちの反面、「なぜこんなに売れているのか?」が言語化出来なくて、そのギャップに苦しんでいました。
売れていない頃の自分が見たら「何言ってんの?」と言うかもしれませんが、とにかくモヤモヤして苦しかったんです。
各局に出入りし、MDやスタッフさんからも信頼を得て、さとうからの提案なら売れる、と言わんばかりに提案すれば採用されて売れ、商品企画を提案すれば採用されて売れる、もちろん、わたしだけの力ではなくゲストさんが素晴らしい、商品が素晴らしい、MDやスタッフさんが素晴らしいという事は間違いなくて、そのおかげで、たまたまわたしが運よく担当だっただけ。謙虚という訳ではなく本当にそう思っていました。だから苦しかった。気持ち悪かった。それが何年も続き、わたしは昇進し、後輩も増え、自分が売るだけでなく後輩が売れる営業になるための育成を目指すマネジメントを課される訳ですが、自分もわからないから後輩にも伝えられない、後輩が育たない、その分自分が売上を上げなくてはならない、担当を渡せない、物理的に時間が無くなって、メンタル崩壊寸前でした。
(端折っていますが、この間に結婚、2回の出産を挟んでいます。そのお話はまたいつか)

手放して見えてきたもの

最高でテレビ局7局+カタログ数社の担当を持ち、週に2回東京に出張していたわたしですが、どんどん1つ1つの収録に対しての気持ちが薄れていくのを感じていました。本当はもっとこだわりたい部分を諦め、なんとかこなしていくという日々に限界を感じ、初めて社長に担当を減らして欲しいとヘルプを出しました。
そこから、徐々に後輩たちに担当が分けられていく中で「自分が手放したせいで、売上が落ちたらどうしよう」「MDにがっかりされたらどうしよう」…
手放したいと思っていた反面、不安も大きかったのですが、後輩たちはわたしが思っていたよりもしっかりと成績を維持してくれ、さらにはわたしが担当していた時よりも売上が伸びたところまで出てきました。(今年は月間売上1億超えた子も出てきました!)
なんだ…何も心配なかったやん…嬉しいような、ちょっと寂しいような、何とも言えない感情にムズムズしていましたが、ここ2〜3年くらいでようやく気持ちに折り合いがついてきた気がします(まあまあ最近の話ですね)。

苦手な事との向き合い方とこれからのこと

なんで売れたか?
どうやって売れたか?
何を見ているのか?
何を考えているのか?
売れるだけで良いの?
売れた先には何があるの?
自分自身の感情を言語化したり、分析結果を可視化することが本当に苦手で、わたしが指導に当たった後輩たちは、きっと苦労したことだろうと申し訳なく思っています。
でも、苦手だからと避けていた言語化する事を出来るだけするようにし、頭の中を整理整頓していくと、自分の中でのロジックが組み立てられている事に気付くことができました。これからのnoteには、そんなわたしの頭の中のお話を少しずつ書いていけたら良いなと思っています。

デザイナーになれなかったわたし

デザイナーに憧れて、一度はなれたと思っていたのに違う道に進んだわたしは、どんなに営業成績が伸びても、昇進しても、給料が上がっても、ずっとずっとコンプレックスの塊でした。異動を命じられた時、退職してデザイナーという仕事を続けるという選択肢もあったはずなのに、それを選ばなかった。続けられなかった。
だから、最初はマーケティングやセールスの情報収集のために始めたTwitterも、気付いたら半分くらいはデザイナーさんをフォローし、羨望の眼差しで見ていた反面、苦しい時期もありました。なんで自分は出来なかったんだろうと。
でも、ようやくこのコンプレックスを受け入れ、自分にしかできないことがあるんじゃないかと自分に期待できるようになりました。
結局わたしは、他の誰かからの期待ではなく、自分自身からの期待をずっと待っていたのかもしれません。40歳を目前にして、この数ヶ月はたくさんの出会いと発見と自分自身の成長を感じられた期間で、今までよりたくさんの感謝を感じた期間でした。
デザイナーにはなれなかったけど、わたしはわたしでよかった。
こんなわたしですが、これからもみなさん仲良くしてください!

2020.12.31 さとうじゅんこ

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