vol.1.2 第2部 鮎川浜

「鮎川浜は鯨の町」と、この町で長年暮らしてきた人たちだけでなく、周りの集落の人たちも話す。鮎川浜に住めば鯨肉をたらふく食べられる、と憧れだったという。捕鯨基地として栄える以前、鮎川浜は牡鹿半島の先端の小さな漁村だった。約100年前からいくつもの捕鯨会社が進出、捕鯨産業が好況となった鮎川浜には1万人もの人が集まり、立ち並ぶ飲食店や映画館が賑わった。今は木々が生い茂る周辺の山々の上まで田畑が広がっていた。捕鯨の最盛期、南氷洋での半年間の航海に出れば家を1軒建てられるほどの収入があったという。

毎年何千頭もの鯨がとられ、その肉や皮は食料として遠くの町へも運ばれた。骨を蒸して油を絞り、残り滓は肥料にした。歯やヒゲ、筋もさまざまに加工された。血も無駄にはされなかった。1980年代以降は規制対象外の種類の鯨と調査捕鯨で許可された種類の鯨の捕鯨がつづけられている。2011年の東日本大震災では、鮎川浜の町の大部分が流された。捕鯨の歴史と文化を伝えていた観光施設も跡形もなくなった。住む場所をなくし、町を離れた人もいる。震災から約5年が経つ今でも鮎川浜では建設工事がつづく。捕鯨はまだこの町でつづけられている。

鯨によって変化してきたこの町の人にとっての鯨とは、どのようなものだったのだろう。


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