椎骨の数をおしえて

 どうしてひとはだれかを愛すると、ふたりで一匹の動物みたいになってしまうんだろう。ひとりとひとりのまま、肩は触れるくらいの近さで、しずかに歩いていけたらいいのに。

 その先に未来があると思えなくなる。いま、一匹だな、と思うとき、途端に永遠を手放してしまったような気がして心細くなる。もともとそんなもの持ってなんていないのに。心細さは弱音に変わって、そうしてたいてい悲しい顔をさせてしまう。

 その手に触れられないのは、いつだってただ怖いからだった。私が孤独でなくなってしまったとき、あなたを失う気がする。いつか、だとかずっと、だとかいう約束は、いつもからっぽの心臓のなかで喪失の足音として響く。

 愛しながら不幸でいることはできないだろうか。

 願望というには不毛なそれは憧れという名前がついた痛みで、生まれたときから生えていた羽のように切り離せない。幸せだ、となんの衒いもないみたいな声を出そうとするたび、なにか忘れてはいないかと脳裏によぎる影。消えない夏の朝の記憶があること。もう守れなくなってしまった約束について。知らないはずの冬の海の残像。そういうものに酷く似ている。

 私のなかに生まれる感情が暗く濁るほど、私から紡がれることばはうつくしく光る気がする。心が傷つくたびに口から宝石がこぼれるしくみになったとして、世界は喜んで私に罵詈雑言を浴びせるだろう。誰がしなくても、自分で同じことをしないという自信がない。私より、私がいなくなったあとに残るものの方がうつくしくあってほしいから。

 一喜一憂するのをやめたい。不毛だ、と思いながら愛しているふりをもう二度としたくない。愛されるためだけに愛したくない。誰かに愛されていない、と思うときは、たいてい自分が自分を愛せていないときだった。ひとりでいることとひとりぼっちであることは違う。そんなことを言っていられない夜も何度もあって、いつか肩に控えめに感じた重み、頬を寄せた髪のやわらかさと頭の形、それから体温を、いま抱きしめて眠れたらどんなにいいだろうと思いながら泣いていた。

 あなたの背中を、もう触れられないんだと思いながら見送るときもきっとくることをわかっている。その美しい背骨が私のものでなくなるときが。だとしても、できるだけ穏便であればいいと思う。酷く傷つけあったり、二度と会えないような断絶を抱えないままで、静かに。なにも失ってすらいない夜にこんなことを考えるのは、ある意味で、まったく別の意味で、ひとりぼっちを選ぼうとしているときだからかもしれない。加害者になってでも離れたいと思う諦念を、あなたといて感じたくはないから。

 だれかを、とりわけあなたを、愛情や承認を与えてくれる存在として消費したくはない。繰り返したくない。幸福すぎて涙が出そうになることの、ほんとうに胸があたたかく灯ることの、比喩じゃないことをはじめて知った気がする。どこまでも澄んで、微睡みと平穏のほかになにもいらないと思えてくる。でもそうじゃないこともちゃんとわかっていて、ひとつずつ言葉を手渡しあえる。

 この日々がずっと続けばいい。

 祈りは永遠のように、叫びのように静かに胸の裡にある。叶わないことを花と同じように知りながら。冬になってひとりぼっちになって、春になってひとりとひとりになればなにか変わるだろうか。待つことが嫌いじゃなくなったのは、夏の終わりの風の匂いを覚えたときからかもしれない。愛されることを怖がらなくていいし、満たされていていいことがわかって、はじめて適温でだれかを大切にできるような、そんな気がした。まだ上手に眠れないままの自分で。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?