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クソ男の寂しさはまるで底なしのバケツみたい。

寂しいのだそうだ。

学生時代からの友人に、常に彼女が2.3人いるクソ男がいる。
彼は友人としては全くクソではないから10年以上付き合っているのだが、男としては確実にクソなので、ここではあえてクソ男と呼ばせてもらいたい。

そんな彼になぜ彼女をそんなにたくさん作る必要があるのかと聞くと、返ってきたのはなんと「寂しいから」という意外すぎる答えだった。

たくさん遊びたいとか、
女の子が好きとか、
1人に向き合うのはめんどくさいとか、
そういう理由だと思っていた。

けど、それよりも何よりも、第一声に出たのは「寂しい」の一言だった。

周りには女性が沢山いて、手を伸ばせば誰でも掴めそうなくらいモテるのに、何がそんなに寂しいのか、全くわからないと同席していた他の友人は言った。

だけど、そういう理由ならなんとなくその気持ちは分かるなぁ、と、私は思った。

大勢の人に囲まれることと、精神的に繋がって満たされることは違う。
それに、寂しくなかったらそんなにたくさん異性をかき集めるようなマネはしないだろう。
だってそもそもそんなことをする必要がないから。

では、なぜそんな風に女の子達をかき集めてもクソ男の寂しさはまぎれないのかというと、やっぱりそれはかき集めただけだからだと思う。

このクソ男が付き合っている女の子たちのことは分からないけど、少なくとも私はそうだった。
大学時代、男性に愛されれば満たされると思って、合コンやら街コンやらたくさん行った。
行けば誰かしら私のことを気にいる男がいて、熱心にアプローチしてくれる人もいた。
けど、みんな、私自身のことは見ていなかった。し、私だってそうだった。

他人は自分を映し出す鏡。

自分が自分を満たすためだけに異性に近づけば、同じく近づいてくる相手だって、自分を満たしてもらおうと思って近づいてくる。
私の場合はトロフィーワイフ的な立ち位置にされることが多かった。寂しさを満たしてもらう代わりに相手のアクセサリーになる感じ。
そんな人たちが何人集まったって寂しく無くなるどころか虚しさも相まって寂しさは余計に助長されていくだけなのだ。

「私は1人でも生きていけると思ったから結婚しました。」
昔、壇蜜がテレビでこのようなことを言っていた。
あの頃はピンと来なかったけど、今は本当にこれに尽きるなあと思う。

1人でも楽しい。
でも、あなたといるともっと楽しい。
そういう状態になって初めて健全に他人と一緒にいることができるのではないかと。

寂しさも、自己肯定感も、欠けた愛情も、他人で埋めることは不可能だ。

だからクソ男の寂しさは底なしのバケツ。
愛情を入れても入れても受け止めることはなく全て流してしまうバケツ。
決して満たされることのない寂しさにもがく苦しみを誰かに吐露することもなく、もしかしたら底がないことを自覚すらせずに、搾取し続け、捨て続ける。
そういう地獄。

でも、
「かわいそう」なんて思っちゃダメだよ。
「私が救いたい」なんて思っちゃダメだよ。

クソ男が救われたい相手は別のどこかにいて、すでにクソ行為をされているあなたではないから。

「じゃあ私には何ができるの?」

今隣にいるクソ男は捨てる。
それと、あなた自身がクソ女になっていないか見極めること。

自分を満たすためだけに作った彼氏があなたを大切にしてくれることは一生ないから。
何かを得るには、必ず何かを手放さないとならないから。
どこかで聞いたことあると思ったならそれはあなたが本当は心のどこかでそう思っているから。

あなたが持っているもののうち、手放すならそのクソ男じゃない?

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