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タオルなのか、ふんどしなのか

僕はふんどしを履いている。

それがどうした、という宣言ではあるが、これがなかなか涼しい。

2年前から夏限定で開放感を満喫しているのだ。

まあ、今回は僕がふんどしを履いていることが主題ではなくて、ふんどしで爺ちゃんを思い出した話がしたい。

僕の爺ちゃんはふんどしを履いていた。知る限り、赤いふんどしと、白いふんどしを交互に履いていた記憶がある。

僕がまだ小学生、いや、もっと小さかったころの記憶だ。風呂上がりには、ふんどし姿で「どやっ」と歩き回っていた。


爺ちゃん家には、ふんどしが干してあった。

赤いふんどしは「ふんどしです」という佇まいなので、ふんどしだとわかる。

しかし、白いふんどしは「私はタオルです」という顔で干されている。

これがどうにも、威圧感がある。タオルとは明らかに違うのだが、丁度いい位置に、丁度いいサイズでぶら下がっているのだ。

何が言いたいのか分かってきたと思うが、やってしまうのである。

ふんどしで顔拭き。

もちろん、洗濯後のふんどしだから綺麗なのだろうけど、何とも言えない気分になる。

「内緒にしておかなければ」と、子供ながらに後ろめたさと同時に、得体の知れない恐怖を感じたのを覚えている。

ここまで書いて、やっぱり「それがどうした」という話だが、ふんどしを履くたびに爺ちゃんの顔がはっきりと浮かぶのだ。

因みに、最近のふんどしは、布がびろーんと前に垂れるスタイルではない。パンツタイプで、履きやすいのよ。

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