当たり前なことに●●をする
生活の中で当たり前のことは数多くある。意識しなければ当たり前のことは普通にやって終わっていく。でも当たり前が当たり前じゃなくなった時、人はどう変わるのだろう。
ある日一通の封筒が届いた。差出人がないのでちょっとドキドキした(差出人がない時は、いたずらか、もしくは政府関係の手紙だから)
開けてみると、げーっスピード違反の請求書だった💦
オーストラリアのスピード違反金はめちゃ高い、ちなみにこの請求書には約15キロオーバーで500豪ドル(5万円くらい)。どこでスピードを出したのか覚えがないし、書いてあるところには最近行ったこともない。
さてさてどうしたものか、と独り言を呟いて思い出した、車を知人に貸していたことを(笑)そうこの知人は、友人たちと少し離れたところにドライブに行ったのだった。私はウォーキングがほとんどで車を使わないから、必要な友人に中長期で貸している。
この違反金はもちろん私が払うべくものではないし、違反ポイントがプラスになるのも嫌だ。
一日目:知人に連絡をとり、違反金の支払いに自動車登録センターに支払いのために行く。ちなみにオーストラリアは、車両関係のことはこの登録センターが管轄となる。
登録センターで事情を話すと警察に言ってと言われた。
この足で警察へ、(平日なのに)なぜか閉所。
二日目:再度、警察へ。受付のお巡りさんは優しそうで話しやすそうだと思っていたら、後ろから少し先輩っぽい怖そうなお巡りさんがでてきた。
請求書にドライバーと私が記入して、証人(公正役場)のサインをもらい郵便局へ行って郵送して、とのことだった。昔は、警察で、証人のサインをしてくれたこともあったそうだが、今はやってくれないらしい。
この公証役場的な人たちのサインをもらうまでがすぐにとはいかないのがオーストラリア。
調べてみると、週に二日間だけ午後に図書館にいるという。
結局、この週に終えることができず。
簡単にすぐ終わることが当たり前になっていた日本の生活、こうしたちょっとしたトラブルの時に、日本を思い出す。
でも当たり前の中にいると当たり前じゃないことを思うことはやらない。
はぁと溜息をついた、当たり前に思っていたことを思い出し感謝の気持ちが湧いてきた。ありがたかったな。
その言葉が出た時に当たり前じゃないことに腹が立たなくなり、自分の意識が感謝に向いていることに気が付いたのである。
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