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猫を拾うことの、幸せ

子猫を拾う幸運に恵まれることは、滅多にない。今まで66年生きて2度しかなかった。生後2ヶ月未満で親とはぐれる子猫がまず少ない。親猫の代わりとして、人間になついていくれる猫はさらに少ない。

どうしたの?と声を掛けて、走り寄ってきてくれる子猫にいたっては、奇跡に近い。奇跡の猫は、人を怖がらないから、よくなつく。

遊んでよ、と最初はパフパフと頬や手を叩いてくる。相手をしないと、最後は足の甲に後ろ足を置く。そのとき、すでに爪が出てるので、いらついていることが分かる。で、後ろ足で足踏みすると、かなり痛い。が、それだけ罪深きことをした報いと、甘受しなければならない。

神はなぜ、このような子猫を与えたもうたのか。知らないところで、何か善行のようなことをしたのだろうか。思い当たるのは何度かサイフを拾い、その都度、交番や駅事務所に届けたことくらい。が、それは着服なぞしたら、ろくなことはないと思い定めているからで、いわば厄除けのため、取得物と早く縁を切りたいだけだ。

駅員に渡すのは簡単だが、交番に届けるのは手間がかかる。万一落とし主がみつからなかったときでも権利は放棄する、落とし主がみつかったときにはお礼も不要としても、なおかつ記入させられる書類がある。30分は時間がかかるので、うっかりサイフを見つけると、正直うんざりする……というくらい頻繁にサイフを拾う時期があった。

そのたびに着服しなかった、つまりネコババしなかったポイントがたまり、子猫がきたということか。それなら、わるくない話である。善行をして表彰状などもらうより、はるかにうれしい。

ネコは気難しい物書きによく似合う

夏目漱石や向田邦子の例を出すまでもなく、物書きとネコは相性がよい。私自身、物書きなどという立場ではありえないし、気難しくはない……と本人は思っているが、気難しいか気難しくないかは、他人による評価なので、もとより本人が自信をもって言い切ることではないか。

まあ、少しは気難しいかもしれない。そして、物書きという立場ではないが、その世界の方々のように身勝手なところがある。この身勝手なところがネコとはまっているのかもしれない。

いうまでもなく、ネコは身勝手である。身勝手なやつが身勝手な男に勝手な注文を出す。エサ出せよー、トイレ汚れてるんですけど、外行きたい!そうせがまれると、むすっとしながら、言うことをきいてやる。

はい、喜んで!

とはならないが、そんなに嫌でもない。負のエネルギーと負のエネルギーがぶつかり、前向きな力が生まれるかのごとき。おじさんは、無表情だが、子猫を拾った喜びをかみしめているのである。


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