扁鵲(へんじゃく)の六不治 現代にも通じる教訓 漢方診療日記㊸

古代中国の名医と言えば扁鵲(へんじゃく)である。扁鵲のことは司馬遷の書いた中国の歴史書「史記」の中で扁鵲倉公伝にて記されている。名医の代名詞だ。立派な医師が現れると扁鵲の再来などと表現される。扁鵲は春秋戦国時代の人で紀元前三~八世紀に活躍したとされる。ただ、活躍期間が長すぎて複数の医師団の総称だとする説もある。いずれにしても漢方や鍼灸の祖師である。その中に医者が治療しても患者の病気が治らないパターンが説かれている。扁鵲の六不治である。
一、驕り高ぶって道理をわきまえない人
二、身体を粗末にして財産を重んじる人
三、衣類の節度の保てない人
四、陰陽共に病み、内臓の気が乱れきった人
五、痩せ衰えて薬が服用できない人
六、巫(ふ)を信じて、医を信じない人
(出典 漢方の歴史 小曾戸洋著 大修館書店)
二千年以上も残っている内容である。それぞれの時代に共感されて受け継がれてきたのであろう。勿論、現代にも当てはめられる。
一の「高ぶらない方が健康に良い」とは、身体を過信したり、精神的な安定が治療には大切だということだ。精神的な要因が病状に影響する。現代の精神神経免疫学である。
二の「身体を粗末にしない方が良い」。現代でも仕事を優先したり人付き合いを大切にし風邪でも仕事に行く人が大半だ。黄帝内経にも同じようなことが書いてある。人の社会生活が高度になり宮仕えなどが出来てから寿命が短くなってきたとある。生活の為に致し方ないのは分かるが、病気が治った後、病気を作った環境に戻るのは再発を望んでいるようなものだ。
三は衣類を適切に使いなさいということ。人には獣のように毛が無く季節によって生え変わることも無い。だから寒い季節には身体を衣服で覆うことで体温を保つ必要がある。また、年を取って熱の産生が弱くなれば、若いころよりも厚着をする必要がある。身体を覆うことに意識が向かない人が現代でもいる。
四、五は身体が弱りすぎたり、薬の服用が出来ない場合は病は治らないということ。
六の「巫を信じて医を信じない人」も現代でも沢山いる。人は弱るとついすがる対象を探してしまう。当時は病気といえば祈祷が治療の主な手段だっただろう。その中で経験則で出来上がっている漢方医学を信頼する方が治る可能性が高かったということだろう。
私は技術としての「医」だけでは不十分だと思う。太古の時代に「巫」を求める人の気持ちも分かるような気がする。それは私が難病に向き合う人を観て感じることでもある

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