子どもとは何か、保育教育志望の学生の今思うこと

今現在、保育園と児童館でアルバイトをしている。0歳から12歳まで。懸命に育とうとしている子どもたち。

大学での学びの上に実践があるのだとして学びながら実践できている今はひたすら吸収して学べるチャンスをもらっている。

子どもとはなんだろうか。子どもはかわいい、子どもは小さい、あとは?
かわいいだけでは保育はできない。教育もできない。子どもとは?庇護の対象でありながら育つものだと考える。

人は1年で生まれたてのホヤホヤの生き物から立って歩いて幼児食を食べるようになる。その育ちに圧巻すると共に育ちの重要性を考える。

ただかわいがればいいのだろうか、ただ受容すればいいのだろうか、ただ危ないものを全てとっぱらえばいいのだろうか。それでは子どもは育たない。

保育を学んでいくうちに育ちというものの重要性を身に染みて感じるようになった。実際、喋れなかった子どもが発声練習をして一語文で話すのを見た。1年生が針と糸を使ってお裁縫ができるようになったのを目の当たりにした。

子育てや保育教育は理屈じゃない。どう育つかなんて予測不可能だし子どもはイタズラの名人だ。危機管理能力を幼児期に身につけさせるなんて不可能。死なさないこと、それだけでかなりの神経を使う。

でも教えなきゃならない。社会生活にはルールがあってそれは守らなければいけないこと、自分や他人を傷つけることはしてはいけないこと、ありがとうとごめんなさいをちゃんと言うこと、根気強く教えてようやく身につく。

手を伸ばして膝の上に乗ってくる乳児、先生見ててと抱きつく幼児、まーちゃんあのねとまとわりついてくる小学生、全てが愛おしくてたまらない。

児童館の正社員の方に言われた。「子どもと関わることは奥が深いよ。20年やっても初めてのことが起きるからね。たくさん学びなさい。面白いよ。」

これからこの世界に足を踏み入れるのだと思うと胸の奥からぶわっと突き上げるような感じがした。楽しそうでわくわくしてもっと知りたいと思って、それでちょっとだけ怖かった。ゾクゾクした。

私は保育園の先生と幼稚園の先生と小学校の先生と児童養護施設の先生になりたい。子どもと関わってその育ちを支援したい。生きていく方法を教えたい。

家庭環境がぐしゃぐしゃで暴力と暴言に塗れていてご飯をまともにもらえなかったからセロハンテープを食べた。中学の美術の先生が一時だけ精神面の親代わりをしてくれた。

だから知ってる。教育の大切さを知っている。

だから学びます。がんばる。辛くても「先生!」って呼んでくれる子どもたちに向かって悲しい顔できないじゃん。

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