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今日の話。

私は今現在、浪人をしていて個別指導の予備校に通っている。


典型的なかまってちゃんで人と喋らないことがストレスになる私にとって、気にかけてくれる先生はとても有り難く、感謝しきりである。


私の担当の先生は、20歳半ばの、地方出身の女の先生だ。淡々としていながらも優しくて、よく気にかけてくれる。たまに見える毒舌や綺麗な立ち居振る舞い。私は先生のことが大好き。


そんな先生との話だ。今日はいろいろな話をした。


私は小さい頃から「なんか変な子」だった。暴力を受けて育ったせいもあるのだろう。なんか変わっている子、だけど何が違うのかわからない。そんな私はいつも浮いていた。


普通にしなさい、普通って何?
みんなに合わせて動きなさい、嫌だ私は本が好き。
でもいじめられるのは嫌だ。わからない。どうすれば……


人とはなんか違う。おかしいのに合わせることができない。

整理整頓ができなくて机の中はぐちゃぐちゃ。
運動神経が極端に悪くてかけっこはいつもびりっけつ。
投げられたボールは顔面で受けるしラケットは振れない。真上にボールを投げてね、距離感誤ってコケるあらぬ方向に飛ぶ。



そんな私は浪人生になっても荷物が多く、片付けられなくて勉強机のルーズリーフがどさどさ落ちてきて、問題集は倒れる。整理整頓はまるで駄目。


ではやっとこ本題。担当の先生は大学で障害関連の勉強をされていたそうだ。先生は私の荷物を束ねながら「整理整頓ができない人ってね、物の住所が決まってないんだよ。そういう人ってね、発達障害の人にも当てはまるんだよ」と言った。


一時期、メンタルクリニックに通っていたものの、そういう診断は受けたことがなかった。でも私はなんか当てはまる部分がある。不注意だったかな。先生は暗に私にハンディがあることを示唆していた。


先生と話をした。織りなすように。私の視覚というか距離感がつかめないこと、明後日の受験に備えての気持ちの持ちよう、ごめんなさいってどういうこと?私の家の歪み。


5歳離れている先生の言葉は重くて、いろいろ考えさせられた。障害にはグレーが広がっていて、完全な健常はいないのかもしれないね。


私は精神年齢が低いとよく言われる。親にまともな育てられ方をしてもらっていなかったせいもあるのだろう。19歳になっても抱っこをせがんで誰かにぴっとりとくっつくことが好きだ。要は典型的なかまってちゃん。甘ったれ。


でも先生は私のことを精神年齢低いとは感じなかったそう。だって考え方はしっかりしているから、と。私が言ったことに対して受け止めてくれる、そしてそのうえで意見をくれる。私は先生に英語だけじゃなくて人間関係も学んだ気がするんだ。


私はまっさらの健常ではない。が、発達系の診断も受けたことがない。でも私の生きにくさに生まれ持っての気質欠陥何らかのものはあるのだろう。


生まれついての気質、HSPについてだ。ハイリー、センシティブ、パーソンの略で要は感じやすい人。人の気持ちも些細な音も全て全て感じることができる。これは決して悪いことだけではない。だが敏感過ぎるのもまたストレスというもので、たぶんほかの人の倍くらいは刺激を受けているんじゃないかなぁ。


先生に言われた。「普通の人には感じないくらいのことを余計に感じちゃってるからなんかストレスを生み出している感じがする」と。ストレスの自給自足かな。嫌だな。


どうにもできないことはどうにもできないよ。ただできないのは必ずしもあなたのせいじゃないよ。先生はそうおっしゃった。


うまくまとめられているか不安なところだし、思い出したらちょくちょく付け加えるけど1つ言えること。私はこの先生に教わることができて良かったなぁ、ということだ。


スキンシップが苦手なのはずなのに私が手を伸ばしたら気づいて手を添えてくれる。人に興味がないと言いつつも小さな優しさでたくさん構成されている先生のことが私は大好き。
#浪人生
#発達障害グレーゾーン
#独り言
#弱虫日記

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