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自転車で世界100カ国目に突入、浅地 亮さんvo.2🚴‍♂️

2001年に日本一周、2006年から世界へ。
100
カ国巡ったなかで、自転車旅がむずかしいと感じた国は?

「中国とか、イラン、ウズベキスタン、アフリカ諸国……独裁国家かな。中国はおもしろい国なんだけど、僕みたいな節約旅だとなかなか大変。観光地や高級ホテル以外の田舎町の安宿は、外国人の宿泊拒否というところが多い。中国人のID がないと泊めさせてもらえないんだよね。そうとは知らずに外国人宿泊NGのところに泊まろうとして、警察に連行されたこともある。中国も田舎の方に行くと外国人を見たことがない人も多くて、警察署でも僕のことを宇宙人にでも会ったような目でみんなが見てくる。“こいつ、言葉が通じないぞ”みたいな。英語もまったく通じない。でも、ITは進んでいるから警察に翻訳機能を見せられて自分の置かれている状況を説明された。2時間ぐらい質問責めされて、荷物も片端からチェック。PCの中の写真も全部見られて、プライバシーなんてまったくなかったよ」。

中国で困るのは安宿探しと、ネット規制らしい。

顔立ちの似ている中国でも宇宙人に遭遇したようなリアクションだったら、
人種も異なり観光客も滅多にこない国だともっとすごい反応になる?

「行く先々で、僕に対するリアクションは様々。中国のなかでも、地域によって全然変わってくる。アフリカなんかは別世界。自転車で走っていると、1日何百回と“ムズング、ムズング”という言葉をかけられる。スワヒリ語で“ホワイト”という意味。彼らからすると自分たち以外は、みんなホワイトという意識なんだと思う。土地が変わるとムズングではなく違う言葉になるけれど、意味はぜんぶホワイト。まるで僕の名前がホワイトになったみたいに、そう呼ばれる」。

タンザニアでは「ムズング!」、写真のマラウイの少年には「アッズングー!」と呼ばれる。
どちらも「ホワイト」の意味。

その言葉に敵対心とか、差別とかは感じる

「悪意はないのかな。小さい頃に外国人を見て指をさして親から怒られたことがあるけれど、それと同じで初めて見る外国人に対する純粋なリアクションという気もする。差別も彼らにとっては先進的なことで、新しい概念。アフリカの観光客のいない根源的な地域に行くと “肌の色を見るんだな”とまざまざと感じさせられる。危険な感じはなく、むしろアフリカの黒人は外国人をすごく恐れている。ヨーロッパ人からの植民支配や奴隷貿易の歴史的な記憶があるせいか、旅行者の僕に対して恐怖心を抱いている感じ。中東アラブ諸国では、何かにつけて石を投げつけてくる。石を投げるのはだいたい少年で、大人と女性はしてこない。言葉が通じないから理由は聞けなかったけど、これもまた外国人に対する純粋なリアクションのひとつなんじゃないかなと。経済水準が高く先進的な国に行くほどに、僕に対して興味を持たなくなる。目も合わない。日本人も外国人を街で見かけてもそこまで気にしないし、リアクションもしないでしょ」。

石投げボーイズ。
西方アラブ、モロッコの少年と浅地くん。「東方アラブに比べて、西方は石投げがいくらか優しい」。


浅地くんのnote.の記事には、その国のリアルが
素敵で印象的な写真と知的な文章で綴られていて、
本当の意味でのグローバルを学ぶためにとても参考になる。
たくさんのエピソードがあると思うけれど、一番感動した出来事は?

「2012年に、僕の自転車旅で最大のトラブルが起こった。セルビアという国で、自転車旅の命ともいえる自転車が盗まれてしまって。荷物を宿に置いて自転車でスーパーに買い物に行ったんだけど、もちろん鍵をかけて10分ぐらいで買い物を済ませて外に出たら自転車が消えていた。ショックというか、呆然、絶望。何が起きたか理解ができなくて。警察に行って届けを出して、日本大使館に行って助けを求めたりして。でも、自転車は見つからず、戻ってくる気配もなく…」。

カスタムと修理を重ねて世界を共に巡る、最愛の旅の相棒。

自転車を現地調達することはできないの?

「自転車は売っているけど、僕が乗っているのは旅用にカスタムしたもの。それだけじゃなく、一緒に世界を旅して、いろんな人に助けてもらい直してもらった思い出の詰まった自転車。そう簡単には諦められない。こうなったら“自力で探すしかない”と、ネットカフェで自転車の写真をプリントして、ビラを作り、街中のいたるところに貼って歩いた。懸賞金もつけて。日本円でいうと、4.5万円くらいだけど、当時のセルビアでは月収ぐらいの価値があったと思う」。

自転車捜索のために作ったビラ。
セルビアの街角に手作りのビラを貼り歩き、情報を求めた。


未知の国でその行動力と執念。セルビアの人たちの反応は?

「旅の途中で盗まれたものは戻らないと諦めかけていたけれど、会う人会う人がビラを目にしてアドバイスをくれる。例えば“中古品として売られている可能性があるからマーケットを探してみるといいかもしれない”とか。その温かい手助けに“やっぱり諦めるわけにはいかない、徹底して戦ってやる!”と、メディアの力を借りるために、現地のテレビ局、ラジオ局、新聞社に乗り込んだ。南アフリカから出発してアフリカを縦断し、ヨーロッパに入りセルビアに着いたところで自転車を盗まれたと経緯を話し“セルビア国民の力を貸してください!”とお願いをしたら“OK!”となって。最初はネットの小さなニュースで取り上げられたのだけど、それが瞬く間に拡散されて、テレビのニュースにもなり、新聞社の人は毎日僕のところに取材に来て連載記事にしてくれたんだ」。

当時の新聞記事。国を挙げての大捜索。

すごい、セルビアで有名人に。

「セルビアという小さい国だから、そうなったのかもしれない。街を歩いていると“お前か!”とみんなに声をかけられて、二言目には“ソーリー”と謝ってくれる。せっかくセルビアに来てくれたのに、こんなことになって申し訳ないと。力になりたいと連絡先を渡してくれる人もいて。セルビア首都のベオグラードで起きた出来事なんだけど、数日後には “力になれることがあったら何でも言ってください”と市長から連絡が入ってびっくり。いくつかの企業が僕に自転車をプレゼントしたいと名乗りを上げてくれたり、一般の人も自転車を買うための募金活動を始めてくれたりと、自分が思っていた以上に大ごとになってしまった。最終的にはセルビアの首相が登場して“防犯カメラの映像を公開しなさい”とメディアに指示を出して、僕の自転車を盗んだ犯人の顔がセルビアのテレビのすべてのチャンネルとYouTubeに流れた。その2時間後、犯人が逮捕。“自転車も無事に確保!”と、それもまたニュースになって。翌日、首相官邸で自転車の返還式まで行われたほど。首相と握手をしてスピーチをして、めでたく自転車を取り戻して街を走ると、大勢の人が“おめでとう”と声をかけてくれて、クラクションを鳴らして祝福してくれた。たかが自転車1台だけど、想いって伝わるものだなと」。

セルビアの首相と握手を交わす浅地くん。自転車も奇跡的に無傷で戻ってきたそう。

人生で滅多に、一国の首相と握手できることはない。稀な生き方をしているからこそ興味を持ってもらえて、力を貸してもらえたのかなとも思う。
やる、やらないの選択も大きいなと改めて感じる。
そんなパワーを秘めていた人だったとは。

「自転車を盗まれるまで、そんなことをするとは自分でも思っていなかった。その出来事から6年後に、別の旅でセルビアの近くを通ったから再訪することに。驚くことにみんな僕ことを覚えていてくれて“あいつが戻ってきたぞ!”と、またテレビの取材を受けた。当時助けてくれたセルビア人とはいまだに親交があって、僕が帰国しているタイミングで日本に遊びに来てくれたこともある。あまり知られていない国だけど、日本とセルビアの小さな架け橋にはなれたのかなと思える出来事だった」。

自転車奪還後、宿泊先の家主が友人を集めてパーティを開いてくれたときの1枚。

vo3に続く。

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