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ついに本番!新作能「菖蒲冠(あやめこうふり)」(後編)

本番の2日前に囃子(楽器)を担当する灰野さんから、幕間(前幕と後幕の役者が着替えている間)の音楽の間が持たないので、何か詩を選んでくれと言われました。そこで、大伯皇女(おほくのひめみこ)

わが背子(せこ)を 大和遣(や)ると さ夜深けて 暁露(あかときつゆ)に わが立ち濡れし 

(万葉集105番歌)

うつしみの 人にある我や 明日よりは 二上山(ふたかみやま)を 弟世(いろせ)と わが見む 

(万葉集 165番歌)

この二首を幕間にハープで弾き語ってもらうことになりました。「菖蒲冠」は大伯皇女の話ではありませんが、何か彼女が救われたような気がしました。

5月11日に生田緑地に打ち合わせで行って、少しずつ菖蒲の蕾が膨らみ始めていました。そして6月4日、菖蒲園の管理をされていらっしゃる現代の「花苑司(はなぞののつかさ)」のおかげで、この日に満開になるように菖蒲を育てて下さいました。その満開の情景を前に、言葉では言い表せない感動に心が溢れてしまいました。東屋にいる舞台の人間たちは影となり、菖蒲の花々は降り注ぐ陽の光に輝いていました。

通常ならば、舞台の前にいるのはお客様方なのですが、目の前に広がっているのは満開の菖蒲。じっと見つめると情景が茫然とするのですが、一つの菖蒲だけがくっきりと目に映っているのです。きっとここに、この演目を聞きに来た全ての霊が集まったのだと思いました。シテの役者は亡くなった霊を呼び寄せるのですが、亡くなった霊は、菖蒲の精霊の姿となり、シテは菖蒲となって歌い舞ったのだと思います。

よく言われている「グレゴリオ聖歌と声明のコラボレーション」、それはお似合いのことでしょう。でも今回は、がっつりと声明を定旋律としてポリフォニー(多声部の合唱)によるモテット(宗教声楽曲)を作曲しました。ポリフォーニーの三部合唱も、いわゆる能の詞章を乗せて歌うことができました。

前幕の地謡、そして後幕のポリフォニー、これこそ、日本のポリフォニーで活躍する人たちにしかできないジャンルではないでしょうか?地謡・ポリフォニーの彼らには大変な思いをさせてしまいましたが、新しいミュージシャンの誕生の日でもありました。これからも、新たな作品にのぞんでゆきたいと思います。

「菖蒲冠」に関わって下さった全ての方々、出演者、スタッフ、お客様、この題材を与えて下さった全ての霊に感謝します。

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