こけし浄瑠璃「はなこのおむこさん」
2008年にイスラエルに留学して、帰ってきたころ、日本は「こけしブーム」でした。高円寺にある「円盤」というライブハウスで、デザイナーたちがこけしトークに熱くなっていたのを覚えています。それからこけしに興味を持ち、東北に行ってこけし職人に会うこともありました。
現在では、ゴージャスで繊細な動きを表現する人形浄瑠璃ですが、始まったばかりの江戸時代前期のお人形は、もっと素朴なお人形劇でした。さらに平安時代のころ、傀儡師(くぐつし)と呼ばれていた人たちは、「えびすまわし」と言われる箱の中に人形を入れて語る芸をしていたそうです。
平安時代、傀儡師…白拍子をやる私には…こけしは女子の玩具ですが、浄瑠璃のように人形劇にできないかなぁと思っていました。
イスラエルから帰国して、アラビア語の勉強も始めました。今度は、パレスチナの人たちと、片言でもいいからアラビア語で話せたらと思いました。しかし、週3回夜間のマアハド(イスラム神学校)でのアラビア語の教室は、想像を絶するほど、私には厳しいスケジュールでした。今、あれをもう一度やれと言われても絶対無理です。
いつも教室で最下位の成績を誰にも譲らなかった私は、少しでも落第の危機(60点以下は落第、もう一回、同じレベルの教室を半期やり直し)から逃れるため、毎日アルジャジーラ(アラビア語でニュースを衛星放映しているテレビ局)をネットで聴いていました。これも今となっては出来ない日々。
それでなんとか2年間の夜間のアラビア語学校“マアハド“を卒業できました。2011年です。
卒業の3ヶ月前、2010年12月18日、アラブの春、反政府デモが始まりました。チュニジアの26歳の青年、モハンマド・ブアッジージーは仕事がなく、屋台で果物や野菜を販売していましたが、警官に販売許可がないと屋台を壊されたことに抗議して、焼身自殺したのが12月17日。チュニジアの青年の失業率は25〜30%にも関わらず、街頭販売の許可もなかなか降りなかった。ただ利権に預かる「ある一定層」のみが潤っている社会に同世代の青年たちが、ついにストライキ、デモ運動へと立ち上がった「ジャスミン革命」。これがアラブの春の始まりと言われています。その様子を毎日、アルジャジーラで観ていました。彼らは声を上げていました。
"اشعب! يريد! اسقاطع النظام"
(アシャーブ! ユリード! イスカーティアル ニダーム!)
「人民はこの制度(政府)の崩壊を欲する!」
そして2011年の3月11日に東日本大震災が起こりました。誰もがそれぞれの記憶に残る日だったと思います。5月、7月には私も福島県の双葉町、大熊町に行ってライブをする機会がありました。2012年6月には気仙沼大島に行ってライブもしましたが…これらは、すべて自己満足の旅だったのではないかと、今では反省しています。
どうやら、7月には、こけし浄瑠璃「はなこのおむこさん」の試演会をし、10月には本公演をやっていたようです。
<あらすじ>
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