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葬送のフリーレン25話/ゼーリエと花畑

葬送のフリーレン25話を視聴。
ゼーリエ回。エモい回だった。感じたことをメモしておく。
#ネタバレあり

お花畑を出す魔法を、すべての人が使えるようにしたい。
くだらない魔法。くだらない夢。
大魔法使いフランメの人生は、それに貫かれていた。
でも、ゼーリエとは相いれない。
魔法は特別であるべきだ。
ゼーリエを貫く価値観は、弟子フランメの夢に価値を認めることはない。
ちょっと悲しい設定だ。

ゼーリエとフランメは、その存在を掛けた価値観で相容れない二人だった。
それでも、ゼーリエのフランメへの愛情は深い。
ゼーリエがこの先何千年生きても、フランメのことを忘れないだろう。
フランメもゼーリエのことを大好きだったのだろうと思う。
そしてそれは、根本の価値観が相いれなかったからこそ、かも知れない。
これは「価値観の相反が生み出す信頼関係」とでも呼べるものだ。
そしてそのためにゼーリエは大魔法使いをフランメから継承する。
自分の価値観に合わないものを継承することにするのだ。

あの子は私の価値観と違う。つまり絶対に間違っている。
でも、あの子のことは絶対的に信用している。
この矛盾する感情は、私たちはみな持つことできるもの、だろう。
そしてそれは今、私たちにとって重要になっている。
ウクライナの戦争、パレスチナの戦争。
絶対に譲れない価値観がぶつかるとき、それらを救うのは
「価値観の相反が生み出す信頼関係」だ。
でもその武器を、私たちはうまく発揮できずにいる。
そのヒントを探しているのが、今の私たちなのかもしれない。

この物語は、その二人を良く知るフリーレンが主人公だ。
フランメ的価値観とゼーリエ的価値観の狭間で、
彼女の役割はまだよくわからない。
お花畑を出す魔法が好きなのはフランメと同じだ。
でも彼女はゼーリエと同じように悠久の時を生きる。
それはつまり特別性に価値を感じるということだ。
彼女はその二人の間に立ち、なにを感じてなにを考えるのか。
それを想像する、私たち視聴者。
そういう構造がとても興味深いお話でした。


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