見出し画像

ガールズバンドクライ11話感想#2/仁菜に感じるエレン・イエーガーとの共通点

ガールズバンドクライ11話視聴の興奮が冷めない。その熱で私の妄想が膨らむ。そういうときは、ついつい勢いで記事を書いてしまいがちだ。そしてあとで読み返して後悔する。でも後悔は人を成長させるものだ。ということで、勢いで妄想メモを残しておこう。(注意:本当にくだらない妄想です)

#ネタばれあり

●変わらない仁菜によって変わる周囲
仁菜がこだわっているのは「間違ってないことの証明」だ。それは1話からずっと変わっていない。もちろん仁菜にも「変わった」と言える面はある。7話では予備校をやめる決心をし、10話で父親と和解し、以前より前向きに変わった。でもそれは、むしろ「間違ってないことの証明」という路線に沿った加速だ。仁菜は1話からずっと「証明してやる」という方向性を変えていない。変わらない仁菜。それがここまでの物語の核にある。
一方で仁菜の周囲は変わっている。桃花はプロへの迷いを吹っ切った。智は周囲に本音をぶつけられるように変わった。枠に嵌めたがっていた父親は、「枠をはみ出せと歌う桃花の歌」を受け入れた。すばるは大好きな祖母のために演じていた「理想の孫」という役柄を捨てた。皆が変わったのは、仁菜が変わらなかったから、だ。困難に直面しても、迷惑をかけて嫌われても、まったく変わらない仁菜の姿が周囲を変えてきた。自分にうそをつけない仁菜は、たとえ社会の道からは外れても、「証明してやる」という路線からは一歩も外れずにここまで来た。

●変わらずにいられる理由
仁菜は、桃花の歌のメッセージが間違っていない、と確信している。そのメッセージを言葉にすると「枠にはまるな」だろう。でも、仁菜の言う通り「言葉は外にある。言葉にすると形になる」のだ。つまり、言葉にすると枠にはまってしまう。でも「枠にはまるな」というメッセージは言葉だけれど枠から逃げ続ける。自己言及のパラドクス。このメビウスの輪のように無限にぐるぐる回る論理構造は、私たちの認知能力では全体を見渡すことが出来ない。だから逆に、どんな状況でも、誰にでも響く「ジョーカー」のようなメッセージとして機能する。変わらずにいられる理由の一つはそれだろう。「枠にはまるな」というメッセージは、本気で信じていても、いつまでも裏切られることがない。

●自由を求めて変わらなかった人
「枠にはまるな」というメッセージは、要するに「自由を求めろ」ということだ。そして私は、自由を求めてどこまでも突き進んでいった「死に急ぎ野郎」のことを思い出す。エレン・イエーガー。進撃の巨人の主人公だ。私はガルクラを見た最初の頃からずっと、仁菜にはどこかエレンを感じさせるところがある、と思っていた。だれより自由を求め、だれより仲間を思い、自由の奴隷となって地ならしを発動することになってしまったエレン。自由を求める路線を最後まで変えなかったエレン。突き進む路線を変えないことは、きっと良いことだけではない。「変わらないこと」がある限度を超えると、ひとにはそれに耐えられない。路線を変えずにまっすぐ突き進むのは格好が良い。人はそれに憧れる。でも路線を変えるきっかけを永遠に失ってしまうと、たどり着く先は悲劇だけ、なのだろう。

●エレンと違う道を選べ
エレンは格好よかった。大好きなキャラだ。そして進撃の巨人のあの結末は、作品としてはとても良かったと思う。人には「深い悲しみだけがたどり着ける場所」がある。でもエレンのことを思うと、私は「彼には別の道があったのでは」と考えてしまう。
そして仁菜にも、同じことを思ってしまう。「枠にはまるな」というのは、どこまでも信じられるメッセージだ。でも、それだけを頼りにどこまでも突き抜けてゆく路線からは、いつかどこかで降りないといけない。この言い方は嫌いだけれど「仁菜は負けないといけない」と思っている。もちろん「ずっと負けない仁菜」を求める自分がいる。でも、ずっと負けずに幸せであり続けることができない気がする。だから私は、仁菜にはエレンとは違う、仁菜らしい道を見つけてほしい。

あくまで妄想なので、ガルクラが12話以降で私の危惧するような展開になると本気では思っていない。けど頭に浮かんだ妄想をそのまま書いておく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?