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葬送のフリーレン 8話:魔族が油断する理由

この作品の素晴しさは、演出のすばらしさだと思う。でもその裏には深い設定があって、その魅力を支えているのだと思う。演出のすばらしさについては他の人に任せて、私は「裏側を支える仕組み」について感じたことをメモしておく。

●リグナーの油断
「単身?やっぱりお前たちには見えていないんだな。」
シュタルクがフェルンの存在に気づいていないリュグナーに向かって言った言葉だ。最初からリュグナーの目にはフリーレンしか映っていなかった。その油断がフェルンの魔力制御能力を見誤らせた。でも、彼らは魔力制御を知らないわけではない。やろうと思えば自分たちだってできるのだ。では彼らの目を曇らせたものとは何か?

●魔族の目を曇らせるもの
それは、まずは「魔力を誇示しない闘い方」なのだろう。これは前回、魔族の「欺くために使われる言葉」によって、人の目が曇らされてしまうことの裏返しだ。言葉への無意識の信頼が人の弱点であることと同じように、魔力を誇ることを無意識に刷り込まれた魔族にとって、「魔力の隠蔽を戦略的に使われること」が弱点なのだろう。人にも魔族にもそれぞれ弱点がある。でもよく考えると、魔族の弱点は人より根深く致命的なのかもしれない。

●魔族が油断する理由
魔族には「分かり合いたい欲望」が欠落している。それによって言葉を「欺く道具」と割り切れるのだけれど、同時にそれによって「相手への関心の欠如」を生み出し、油断しやすくなる、という致命的な弱点を抱えているように見える。
逆に言うなら、言葉を単なる道具として使うには、相手を見くびらなければならない。だから、言葉を道具にする魔族は油断する宿命を背負っている、と言うことになる。

●言葉の道具化の代償
そしてこの「言葉を単なる道具として使うには、相手を見くびらなければならない」ということは、実際に身の回りに起きていることを見ても、なんだか真実を突いているような気がする。言葉とは意思疎通の手段であると同時に「道具以上の何か」になるための「祈り」のようなものが込められていて、それが人間の強さにつながっている、ということなのかもしれない。

●道具化の代償は魔法でも同じ(かも)
そして無茶を承知で話を広げるなら、魔法も言葉と同じなのかもしれない。つまり、魔法を「単なる道具」として使うよりも、道具以上の何かとして使うことが重要なのかもしれない。それが「くだらない魔法」というこの物語のキーワードにつながるのかもしれない。

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