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すずめの戸締まりと「すべての時間」

すずめの戸締まりは、すずめが幼少のすずめに言葉を与えることで、自分自身が救われる話だ。これにはとても腹落ちする感覚と共に「引っ掛かるもの」も感じる。それは、幼少期に救われていたはずのすずめが、12年後に改めて救われるとはどういうことなのか?ということだ。そして私のたどり着いた答えは、「いまの自分の中にある過去の自分」を救うことが「今の自分」に直接作用する構造、つまり、心には「すべての時間」があり、そこにうまく入れた時には、過去の時点から今の自分を救うことができる構造(働き)が心にはある、ということだ。

●自分を救う、という構造の奇妙さ
生物は生き残るために自分を守る。その行動を「自分で自分を救う」と表現する場合もある。でもその表現の奥には擬人化があるのだと思う。人だけが文字通り「自分を救う」という行為ができる。それはどういうことか。「救うもの」と「救われるもの」が想定されて初めて、救う/救われる、という関係が意味を持つ。つまり「自分を救う」と言うとき、「救われる自分」と、その外側の「救う自分」を一旦感覚として分けている。そしてその後「救った自分」は「救われた自分」と同じものに戻る(自分が分裂したままの場合は精神病である)。こんな奇妙なことができるのは「人の心」が奇妙な構造をしているからだ。人間は「自分に話しかけること」ができる。それは心が2つに分離しつつ、どちらも自分の心であること(つまり一つであること)をやめないという「超絶に変なもの」なのだ。

●フィードバックループとフラクタル
監督の新海誠さんは映画パンフレットで「自分同士でのフィードバックループみたいなことを使って自分で自分を救うことができることが、人間が生きていくための大事で特別な能力」ということを言っている。フィードバックループとは、エアコンのサーモスタット(エアコンが冷やした結果がエアコンにフィードバックされる)のような構造で、自分のアウトプットが自分に戻ってくるところが、「自分に話しかけることができる心の構造」によく似ている。しかし、心がサーモスタットと決定的に異なるのは、話しかける相手が「自分と同じ構造を持つ」という点だ。「対話相手」は自分と同じように意志があり、私と同じ記憶を共有していて、フラクタル構造(部分が全体と同じ構造)をしている。なぜそんな奇妙なことが可能なのだろうか?それは時間がズレているからだ。自分Aが自分Bに語り掛けるときと、自分Bが答えるときは、時間がズレている。

●分人と過去の自分
このことを考えるには、平野啓一郎さんが提唱する「分人」という考え方が良いヒントになる。どういう考え方なのかを簡単に言うなら、人は対話相手毎に別人格が動き出す仕組みになっているのだけれど、そのどれか一つが「本当の自分」ではなく、どの人格も自分で、別人格(分人)の集合体が「心の本当の姿」ではないか、という考え方だ。分人は、同時に二つの分人になることはできず、切り替わる形で現れる。ではどういうときに切り替わるのか。それは、対話相手が変わったときに別人格に切り替わってしまう、というのが誰でもよく経験するので分かりやすい例だ。そしてそれとは別に、人には過去の記憶が蘇り、その時の気持ちが戻ってくることがある。それも自分の中の分人に切り替わる例だろう。でもこの「過去の自分」という分人になるためには、人それぞれの「特殊なきっかけ」が必要なので、なかなか成る事ができないし、「成れた」と思った感覚もすぐににげていってしまうようなもの、なのだと思う。

●過去の自分との対話という奇跡
過去の自分の記憶がよみがえり、その時の感覚が呼び覚まされた時でも、過去の自分との対話ができるとは限らない。対話が成立するには「行ったり来たり」が必要なのだ。過去の気持ちを思い出した自分が今の自分に戻り、今の経験を踏まえて自分に言葉をかける。瞬時に「昔の自分」という分人に切り替わり、「昔の自分」としてその言葉を受け取るわけだ。そういう奇跡的な対話の結果「昔の自分」が救われることはあり得る話だ。未来の自分が「あなたはそのままで大丈夫だ」と本気で言ってくれたら、多くの苦しみは耐えられる、そういうものだと思うから。

●過去に本当にあったか、は重要ではない。
自分の中にある「過去の自分」という分人に切り替わって「今の自分」の本心を受け取ることができれば、その瞬間に「過去の自分」が救われる。そしてそれによって、今の自分が楽になる。それは要するに「過去に囚われた自分の解放」で、それは分人という仕組みで過去のやり直しを経験することでしか成立しないのだと思う。そして、過去に本当は受け取らなかった言葉を、過去の自分に渡すことは、可能なのだ(人の心には、常世のように、すべての時間がある)。そのとき重要なのは、過去の自分をやり直せるきっかけ、この作品の「常世に入れる後ろ戸」が象徴するものを見つけること。そしてもっと重要なことは、過去の自分に渡せる言葉を育てておくこと、なのでしょう。それが「風の中でも負けない声で、届ける言葉を今は育てている」という歌詞につながるのかなと。

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