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『負けヒロインが多すぎる』第2話/今、頭を空にして楽しめる凄さ。

『負けヒロインが多すぎる』第2話視聴。頭を空にしてみられる作品として素晴らしい。なぜこの作品は、こんなにも「頭を空にしてみること」ができるのか。そんなこと考えるのは、こういう作品の楽しみ方を知らない奴だ。わかっている。私は完全に余計なことを考えている。でも考えてしまったので、メモしておく。

#ネタバレあり

「こいつ、ひょっとして、ただの馬鹿?」
財布の中身を把握していないのに、奢ろうとしていた八奈見に対して温水はツッコミを入れる。的を射たツッコミだ。このときの八奈見は「ただの馬鹿」というのが適切な評価だろう。しかしこの手の「厳しいツッコミ」は、頭を空にすることを妨げる要素のはずだ。
お前は馬鹿か?そんなことは言ってはいけない。どんな場合でもダメだ。それが今の私たちのルールのはずだ。だから温水のツッコミは、文字で見るとドキッとさせられる。頭を空にはできないタイプのツッコミだ。温水はこの時に限らず、痛烈なツッコミを数多く入れている。私たちはそれを聞いてクスッと笑う。特に身構えない。頭は空っぽのままだ。どうしてこういうことが起きるのだろうか。

●「空の頭」を維持できる謎
温水のツッコミに対して、私たちが「空の頭」を維持できるのはなぜか?舞台設定がコメディーだから、と言うのはあるだろう。大げさな表現、ヤバい属性のキャラクターたち。ちょっと厳しすぎる言葉も、そこに深い意味などないのは明らかだから流しやすくなるはずだ。でも私はそれが理由ではないと思う。「コメディだからと言って、本当にその言葉を流してよいのか?」「その表現は本当に必要だったのか?」そういう心の狭量さを私たちは研ぎ澄ましてきたはずだ。それがコンプライアンス社会に生きる私たちの感性だ。コメディだから最後には「まぁいいか」と流すだろう。でも「空の頭の維持」は難しいはずだ。「違和感」を察知して思考が発動してしまう。
ではいったい何が、私たちの「思考の発動」を防いでいるのか。それは温水の絶妙なキャラクターだろう。私たちは温水を信頼している。彼がどんな毒を吐こうと、その毒が彼の口から彼女たちに伝わる事は無いはずだ。彼は無駄に他人を傷つけない人だ。なぜ私たちは温水にそんな「絶大な信頼感」を感じるのか?

●深い諦めへの信頼感
きっとそれは、彼が無神経な言葉を浴び続けてそれを「誠実に流している人」だと知っているからだろう。彼の妹も教師もヒロイン達も、酷い言葉を温水に浴びせている。深く傷ついてもおかしくないようなことを温水は言われ続けているのだ。
「こんなこと、友達とか知り合いには言えないから」「俺は知り合いですらなかったのか」彼は八奈見に悪意がないことを知っている。悪意がないからこそ「知り合いと言うカテゴリー」にすら温水は入っていないという状況が暴露されてしまっている。そして彼は自虐的独り言を吐くだけで、深くは落ち込まずに流していく。それはきっと私たちの日常に近い感覚なのだ。深い諦めからくる誠実さ。このタイプの誠実さは、容易に崩れない。人を裏切らない。だから私たちは「絶大な信頼感」を感じるのだろう。

でもそれは逆に言うなら、彼の「深い諦め」は容易に覆らない、という確信によるものだ。温水の深い諦め。それを揺さぶるところまで、この作品は描いてくるのだろうか。そのとき彼は誰かを傷つけるのかもしれない。今のところ、この作品にそういうシリアス展開はまったく似合わない。でもちょっと期待してしまう。「とらドラ」のような熱い展開。頭を空にできなくなる展開。世の中はそういうものは求めていないだろう。でも私はあまのじゃくなので、ちょっとだけ期待してみようと思う。

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