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葬送のフリーレン7話感想:分かりあいたいと感じない魔族

7話の断頭台のアウラ編を視聴。感じたことのメモ。

言葉を使う魔物を魔族と呼ぶ。彼らが言葉を使うのは「分かり合うため」ではなく「欺くため」。彼らには「分かりあいたい」という欲望がない。だから言葉は単なる道具になる。この設定は色々考えさせられる。
どれだけ冷めた人間でも人間である限り「分かりあいたい」と心のどこかで思っているはず。そういう前提が私たちの頭にはある。つまり「分かりあいたい」という欲望を亡くした人間は、魔族と変わらない。相手の中に「分かりあいたい欲望」が無いと感じたとき、彼のそれまでの言葉は信用できなくなり、全て嘘かもしれないと思えてくる。
もちろん多くの人は「分かり合いたい」なんて言わないし、そういうそぶりも見せないだろう。でもよく考えると、「あまりよく知らない人」にも話しかけることができるのは、どんなに気難しい顔の人だって結局のところ分かり合いたい気持ちを持っているはず、と言う確信があるから、なのだろう。

この物語の魔族は、今のところ人間との間に共存の道はなさそうに見える。でも、私はどうしても彼らのことを「分かり合うことを諦めた人間」と重ねてみてしまう。彼らは「魔族に落ちた存在」なのではないか。彼らは心の中に「分かり合いたい」と言う気持ちが無いとしても、言葉が通じるかぎり、何かの感覚は共通しているはず。そしてその共通しているものを梃子にして、分かり合う道が残されていないのだろうか。
でもそれこそが彼らの仕掛けた罠である。そういう物語であることはわかるのだけれど、それでもその可能性に期待してしまう。「言葉を話す」ということ自体が、そういう「期待と絶望の無限ループ」に繋がるものなのかもしれない。

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