結婚した友達と老夫婦

「現在は独身ですか?」と区役所で聞かれ、その後、携帯ショップで機種変更を行った際に同じことを店員さんから聞かれた。立て続けに聞かれると「結婚しないんですか?」とも聞こえてくる。自分が結婚しててもおかしくない年齢になっていることに、最近はなんとなく気づいていた。もはや「恋人のことを相方と呼んでる人がむかつく」だとか「マッチングアプリ?やるわけないじゃん!」とくだらない小言をぐちぐち言ってる場合でもなければ、夜中に人肌恋しくて湯たんぽを抱きしめてる場合でもないのだ。ましてや、好みのタイプを聞かれて、色白がいいだとか、家事ができる人がいいだとか、事細かに理想を語ってる場合でもない。やばい。考えてみれば、貯金に余裕も無ければ、心にも余裕がない、というかぎっくり腰になってから腰が痛すぎて、それどころではない。誰がこの大都会東京で、お金にも心にも腰にも余裕のない男を拾ってくれるというんだ。

 僕は友達の結婚式を見ても、友達夫妻と夜ご飯を一緒に食べたり、新築の一戸建てに招かれたときも、結婚願望は湧かなかった。しかし、街中で手を繋いで歩いている老夫婦を見た時は、ふと僕もいつかは結婚したいなと思った。結婚が苦難や失望、挫折の連続だとしても。

 先日、僕がいつもの居酒屋で一人、お酒を飲んでいると隣のテーブルに若い二人組が座った。チラッと隣をみると、去年よく一緒に飲み歩いていた女友達だった。この友達は、酔っ払うとメガトン級にどうしようもない人間になる。ある時は、居酒屋のカウンターに並んでいるおそらく常連がキープしているボトルを勝手に手に取り、ラッパ飲みをして居酒屋を出禁になったり、泥酔の果てに自分の財布からカード類を全部出し、一枚一枚川に投げたりしていた。その友達は、次の日に必ずと言っていいほど記憶がない。そして、自分が酔っ払ってとった行動を周りから一つ一つ聞き、いつも絶望していた。僕はなんでその人とよく遊んでいたのかわからないが、酔っ払いながらも、その友達は楽しそうだったから、それが僕としては嬉しかった。そして、普段は色々我慢してるんだろうなとも思うと、突き放せなかった。

 その友達は今年の始めに結婚した。相手はマッチングアプリで出会った人だという。鉢合わせた居酒屋で、初めて見た旦那さんは、見るからに優しそうな人だった。そして、友達はというと、見たことないくらいおとなしくお酒を飲んでおり、まるで保護された猫のように静かに笑っていた。僕は少し気まずさを覚え、店を出て家に帰ることにした。向こうが僕に気づいていたのかは、わからないけど、変に声をかけなくてよかったのかもしれない。

 その帰り道、結婚について少し考えてみた。結婚とは「相手と家族になる」ということであり、僕が母親の前や姉の前で泥酔したりしないように、きっと結婚相手と飲み屋に行っても、家族特有の団欒や、落ち着く空気に心地よさを感じながら過ごすのだろう。過ぎる時間も肴になるのかも知れない。それが、僕から見るととても美しく尊いものに思えた。僕はどうなるかわからないが、いつか誰かと結婚をし、おばあちゃんと一緒におじいちゃんになった時は、手を繋いで街を歩き、誰かの心を揺らせたらいい。あの日の、老夫婦のように。

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