サッカー少年団のタクマ君

 小学3年生の僕はサッカー少年団に所属していた。サッカーは大して好きではなかったが、友達のタクマ君とジュンヤ君が入っているからという理由で、僕も入ることにした。そのサッカー少年団には、サッカーボールは用意されておらず、1人1個、サッカーボールを持参しなければいけなかった。そのことを母に伝えると、母はこちらを見ずに「わかった」とだけ言った。買ってくれるのか、買ってくれないのかもよくわからないまま、初めての練習の日が近づいてきた。練習の前日、母は「ほら!これ!」と言って、サッカーボールを僕にくれた。しかし、それは新品ではなく、おそらくどこかのリサイクルショップで買ってきた、使い古されたボールだった。皆が流行りの新品のボールを使ってる中、ボロボロのボールを使うことを僕は恥ずかしく思った。サッカー自体は楽しかったが、真剣に上手くなりたいチームメイトと、遊びの延長のような気持ちでサッカーを練習していた僕は、当然チームに馴染めず。半年でサッカー少年団を辞めた。

 同じサッカー少年団にいたタクマ君は、プロサッカー選手を目指していた。タクマ君のお兄ちゃんもサッカーが上手く、札幌選抜などに選ばれていた。体格もよく、顔もカッコよかった。そして、遊び半分でサッカーをやっていた、僕にも優しかった。

 タクマ君は狭いアパートに住んでいた。家の中で、猫を6匹も放し飼いにしており、母は永遠にタバコを吸っていた。タバコを吸ったまま猫の世話をし、タバコを吸ったままトイレに行ったりしていた。タバコの煙と、猫の匂いでタクマ君の家はいつも臭かった。今思えば、かなり劣悪な環境だったと思う。

 ある日、そんなタクマ君が僕の家に遊びに来ることになった。僕はタクマ君が来る前にあらかじめ用意していたゲームの電源をつけ、二人で格闘ゲームをした。タクマ君は家にゲームをひとつも持っていないのに、なぜかゲームが上手いという不思議な人だった。しかしその日は、何度戦っても僕が勝った。タクマ君は何度負けても楽しそうだった。

 夕方の6時になり「もう帰る時間だよ」と、壁にかかっている時計が、タクマ君にそう言っていた。ゲームはそのままにし、僕は玄関までタクマ君を見送った。そしてタクマ君の靴下には、いつも通り穴が空いていた。

 その日の夜、ゲームをやり足りなかった僕は、姉を部屋に呼び、ゲームに付き合ってもらうことにした。先ほどと同様の格闘ゲームで対戦を始めると、すぐに姉は「なにこれ!ボタン反応しないじゃん」と言った。コントローラーを借りて確かめると、ボタンが四つあるうちの二つ、ボタンが壊れて反応しなくなっていた。格闘ゲームでボタンが効かないというのは致命傷だ。タクマ君は壊れたコントローラーでも文句ひとつ言わず、戦ってくれていたんだと知り、すごく申し訳ない気持ちになった。翌日、タクマ君にそのことを謝ると、楽しかったからいいんだよと笑ってくれた。

 それから少し経ち、タクマ君は脳にバイ菌が入り、入院することになった。お見舞いに行くと、病室の前にタクマ君の母がいた。「タクマは一部、記憶喪失状態になっていて、記憶に強く残っていた人のことほど忘れてしまっているの。あまり、仲良くなかったり、距離の遠い人のことは覚えてるけど、近くにいた人のことはまだ思い出せないの。だから私のこともまだ思い出せてないのよ。さくらいくんのことも忘れているかも。どうする、それでも会う?」と言われた。僕は怖くなったが、せっかく病院に来たのだからと、病室の扉を開けた。するとタクマ君はいつもの笑顔で「おー!さくらい!!!」と僕の名前を呼んだ。覚えてくれていたのだ。と、なるとタクマ君にとって僕はあまり距離の近い友達ではなかったということなのか、と色んなことを思ったが、当時格闘ゲームをしていた時のタクマ君のように、あれこれと考えることをやめ、タクマ君が僕のことを覚えてくれているという事実、ただそれだけをきちんと喜ぶことにした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?