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アルコール依存・過食嘔吐・ハードワーク、めちゃくちゃな毎日を手放せたわけ

先日、クライアントさまから「自分は両親との関係も悪くなく、平和な家庭に育ったと思っていたのに、いまの問題が両親からの影響だったとは驚いた」という感想をいただきました。

すごくわかる…!!!と思いました。
私の実家も、虐待やDVなど、はっきりとわかる形で問題があったわけではないので、私は長い間自分が抱える「何か辛い」「どこにも居場所がないように感じる」「自分を信じきれない」そういう漠然としたもやもやを、子供のころの家庭環境・経験と結びつけていませんでした。

そして40年以上、さまざまな問題を抱えてめちゃくちゃな人生を生きてきました。

いま、教訓として思うのは「平和な家庭だった」「人並みに色々持っているから」そういう思考を使って自分の「なんか辛い」という感情を無視してはいけなかったんだなっていうこと。

結局自分が「なんか辛い」なら、色々思考で言い訳しないで、その感情をもっと大切にすればよかった。どんなに環境的に条件的に恵まれていたって自分が辛かったら辛いんですよね。


今まで、リアルでは誰にもここまでは詳しく話していない、私のめっちゃくちゃだった日々を書いてみました。ちなみに、これらの問題は、今はほぼ全部癒されてるのです。心理学すごい。カウンセリングすごい。


私は20歳頃から過食嘔吐とアルコール依存の問題がありました。炭酸のお酒を飲みながら過食をして吐く、がセットです。そっちのほうが吐きやすいから。過食嘔吐は10年、アルコール依存は20年続きました。

実家にいたころは、家族にばれないように、入浴をするふりをしてお風呂で吐いたり、部屋で洗面器に吐いてこっそりトイレに流したり。

結婚して家を出てからは、元夫が土日仕事だったので、土曜日が過食嘔吐デーでした。朝、元夫が家を出たら、すぐにお酒と過食するための食べ物を買いに行く。お酒は500mlを6本くらい買います。食べ物は麺類だとより吐きやすい。普通の人の3倍くらい食べて飲んで、これ以上胃に入らないと思ったらトイレで吐きます。

そして少し休憩したら、もう一回同じことを繰り返します。買い物に行って、食べて飲んで吐く。2回目が終わる頃は夕方です。そして、夕方からは食べずにお酒だけを飲みます。土曜日は過食嘔吐のためだけに過ぎていくのは当たり前でした。今思うと地獄みたいな時間だけど、当時の私のとってはこれが「癒し」で待ち遠しい時間でした。

この元夫と同棲を初めた20代後半頃は、仕事がとにかくハードで朝から朝まで働きました。そのストレスがすごかったこともあり、アルコール摂取と過食嘔吐がひどかった時期です。

でもその前から私はめちゃくちゃで、10代のころは主に人間関係がめちゃくちゃでした。彼氏はいつもいて、付き合ってと言われればほぼ100%誰とでもつき合う(なので次の人に告白されたら自動的に今の人と別れるシステムでした)、でも自分が好きな人とは一言たりとも話ができないで見てるだけ。友達は小中高大すべて卒業したら全員切りました。なんでそうなるか全然わからなかったけどそうせざるをえなかった。自分がこの世界に属しているという感覚が希薄でした。とにかく居場所がなかったです。

20代前半のころは日本でイギリスで、夜遊びしまくっていて、いつも酔ってて、クラブで会ったわけのわからない人たちにも平気でついていったり、朝起きたら知らない人の家だったり、初対面の泥酔した人が運転する車に乗って夜中の高速を走ったりしてました。本当にあぶない。怖い目にあったり、死ななかったのは運がいいとしか言いようがない…。(ちなみに私は性へのブロックが強いため、幸いというのかなんだか、乱れた性、的な遊びはしていません)

33歳で出産してからは、夜遊びに興味がなくなり、過食嘔吐はピタッと止まりましたが、アルコール依存の問題が残っていました。お酒を飲めるように、子供は母乳とミルクの混合にしたし、二日酔いがすごい朝は迎え酒をして会社を休んだり。健康診断は良くリスケしました。前日のお酒が我慢できないから。お酒をやめるために何度も病院に行こうとして調べていました。そして相変わらずのハードワーク問題。さらに、人生で初めてめちゃくちゃ依存した手に入らない男への執着で頭がおかしくなったかと思っていました。私が40年近く隠していた依存心が初めて大噴出して、さんざん振り回されました。


とにかく、私はずっと、めちゃくちゃ。ずっと、自分を全然大切にしてこなかった。今思うと、ずっと自分を傷つけようとしていた気もします。刃物を使わない自傷行為みたいなことばかりしていた。

でも、私のこういう一面は誰も知らない。元夫も、親も、友達も、会社の人も。彼らの前では私は賢くてしっかりして頼れる大人の女、何ならお金持ちで育ちが良さそう的なイメージで見られることも多かったです。

そして実際、私の父も母もそこそこ裕福な家庭できちんと教育を受けていて、文化的な仕事をしていました。虐待もなく、暴力もなく、母からは「あなたがとても大切」「あなたのおかげで幸せ」と言われて育ちました。だから私は、私の家庭はいたって普通、私の親子関係に何の問題もない、と思っていたので、そこに原因を探そうとはしませんでした。

そして、このめちゃくちゃな自分が、どうしてこんなにめちゃくちゃなのかを考える暇もないくらいに、表ではハードワーク、裏ではめちゃくちゃなアンダーグラウンド、で忙しい日々を過ごしていました。

でもなんだか生きるのが辛い、どこにも居場所がないように感じる。そんな人生が42歳まで続きました。


40歳を過ぎた頃、よく自分の人生に非現実感を感じていました。急にふと「あれ?これ本当に私の人生なの?」という違和感がやってくる。自分の人生が映画で見た誰かの人生みたいに感じる。横で寝ている娘が自分の娘だという事実に違和感がある。急に現実がぐらぐらするんです。

さすがにまずい、と思って42歳でカウンセリングを受け始め、心理学を勉強し、今に至ります。(と、かっこつけて書きますが、本当はこの頃執着していた男性がロックマンでした。初めて会った変な人と思って彼の特徴をネットで検索していたら根本師匠のブログに辿り着き、そして師匠のカウンセリングを受け始めるのでした…笑)


カウンセラーとなった今、自分の問題の根幹はこの3つと理解しています。

①父から譲り受けた孤独と罪悪感
私の父は、自分が生まれる時に実母を亡くしています。実母の命と引き換えに生まれた父は罪悪感の塊。ロックマン。世間とのかかわりを絶った孤独な人です。私は父をとても愛していて、父を理解して共に在るために、父の強烈な孤独と罪悪感をほぼコピーで持っていました。
→これは師匠のミラクル(リトリートセミナー)で手放し済み


②過干渉・否定的な母との癒着
世捨て人のようになっていた父の代わりに経済的大黒柱をしながら家事育児PTAなど全てをこなす母。自分を二の次にして家族のために生き続ける母は幸せには見えませんでした。それを助けたかった私は母としっかり癒着。自分を抑えて母の喜ぶように生きてきました。

③セクシャリティ抑圧
過干渉・否定的なことばかり言う母との関係で私は、「母の思い通りであれば愛されるけど、私らしくいたら愛されない」「どうせ私は一番に愛されない」の観念を創り上げました。幼稚園の頃、性犯罪に遭ったことも関係あるかもしれません。とにかくセクシャリティ抑圧。自分を出さないで生きることになります。


よくよく考えると、変な父と変な母です。だけど別に世に聞く虐待もなく、家庭の中は笑いがあふれる平和な家庭だったと思っていたんです。父も母も嫌いじゃないし憎んでいなかった。好きだと思っていた。そして自分のことを「色々あるけど、お金も稼いで、彼氏(夫)も友人もいるんだから、幸せだよね」と考えていたんです。だから、40年もの長い間、あんなにめちゃくちゃだったのに、なんだかいつも辛かったのに、それを本気で変えようとすることなく、そのまま生きてきました。

だけど、心理学を学び、カウンセリングを受けて、自分のめちゃくちゃな生き方は、罪悪感・癒着・セクシャリティ抑圧、そういうものが原因で、その大元は両親との関係だ、と気づけた後は、雪だるま式に気づきが連なっていきました。その後の変化はとても速かったと思います。心理学では気づくことが一番大切と言われている通りでした。


私が抱える色々な問題によって、私は自分とつながっていなかった。自分の感覚を無視する。自分の心の声を無視する。自分らしく生きることを否定する。誰かのために誰かが喜ぶ私で生きる。こうやって生きていると自分がいなくなってしまう。結局のところ、私は何よりこれが辛かったんです。自分を無視しながら自分を生きることほど苦しいことはない。

私はカウンセリングを通じで、自分がどれだけ自分を無視してきたかに気づくことができました。そして、それからは、自分とつながることばかり考えています。私が本当は何を望んでいるのか?それを知るために無理しすぎず休む。思考がちにならないようにゆるむ。感覚に目を向ける。自分を信じる。自分の価値を受け取る。そんなことです。

だいたい2年半くらい経った今は、過食嘔吐もアルコールもハードワークも人間関係も、過去抱えていた問題はほぼすべて手放せています。お金ないし、夫もいないし、彼氏もいないし、若くもないけど、でも毎日超幸せです。思考で言い訳する必要なく、素直に本当に幸せです。


このあいだ、クライアントさまから「(今の私から)過去のさくらさんが信じられない!」と言っていただいたんです。嬉しいじゃありませんか。私はそんなに変われたのか!でも、あのめっちゃくちゃな私があるから、今の私がある。だから、あのめちゃくちゃな40年を恩恵にでき始めているんですよね。

そして、この「取り返しがつかないことはない」ってところ。何があったって全て恩恵にできるってところ。これが私が「心って素敵だなぁ」とおもう所以なのです。


もし、何かぴんとくるものがあったら、よろしければご相談くださいね。モニターさま募集中です。私をめちゃくちゃ女から幸せに変えてくれたこの変化は当然ながら誰の身にも起きうるものです!

こちらは.ずっと宇宙人だった父への理解が深まった時の記事!




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