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ずる休みしてもいいよ、と決めた日

私が長年、強力に持っている観念(=思い込み、ルール)の一つ。

「ずる休みは悪」。

でも、意味もなく休みたい時くらい誰にでもありますね。だからたまにはずる休みしたっていいじゃんね。そもそもずる休みしたくなるようなことは楽しくない、本当はやりたくないことの可能性もある。この観念は私にとって「がんばりたくないことでも歯をくいしばってがんばらなければならない」という意味合いを含んでいます。

私はこれを手放すことに決めました。
この観念は私を全然幸せにしてくれなかった。
この観念のせいでいつもがんばりすぎてきた。


この観念はやはり親からもらったものだろうなぁ。これは私だけじゃなくて、日本人の多くが持っている気がします。日本社会の常識に近くて、だからこそやっかいですよねぇ。1+1=2、みたいな揺るぎない正解みたいにとらえられてしまう。


日本社会に、母に、「多少辛いくらいで弱音を吐くな!みんながんばりたくない時もがんばってるんだからずる休みするな!」と(いうような雰囲気のことを)言われながら育った私はどうなったかと言うと…

辛くても歯をくいしばり、誰にも頼らず、一人で泣きながら奮闘する人間になりました。ハードワーカー時代は、レッドブルでキューピーコーワゴールドを流しこみ、強強打破を愛飲し、熱が38度あっても薬を飲んで出社し、文字通り朝から朝まで好きでもない仕事を必死でやっていました。

がんばってもがんばっても幸せじゃないし、どんなに疲れていても脳内DV彼氏(のような男性性)が「休むな!また動けるならそれはずる休みだ!」って言うしで、ほとほと疲れ果てて…そして心理学にたどりついたのでした…。


なのに、恐ろしいことに、当たり前のように子供にその観念を植え付けようとしてしまう。

息子がずる休みをしたがってるんじゃないか、という目で見てしまう。ずる休みは悪いこと、ずる休みを許すと息子はだめな大人になってしまうんじゃないかという怖れも感じる。この怖れはどこからきたんだろう?実体がないもの。息子を信じていたら感じないもの。頭でわかっていても反射的に浮かんでくる観念。


先日、娘がインフルエンザになりました。その数日後、今度は息子が朝から具合が悪いと言っていたけれど、熱を測ったら平熱でした。なので私は息子を学校に行かせました。そしてお昼ごろ息子は早退してきて、夜から発熱してインフルエンザ確定でした。

今思うと、明らかにインフルエンザフラグが立っていたのに、私はなんで息子を学校に行かせたんだろう?インフルエンザかもしれないけど、でもずる休みの可能性がある、それを許したくない、と思ったんだと思うんです。ずる休みは許されないことだという思いが勝って、やすませたくなかったんです。


無意識って怖いなぁ。自分があんなに苦しんだのに、自分が育ったように子供を育てようとしてしまうんだなぁ。

でも私は息子に私みたいになってほしくない。辛い時は辛いと言える、誰か助けてと言える、疲れたから休むわーと言える、そういう人でいてほしい。自分の声をちゃんと聴けて、自分のことを大好きで、毎日幸せを感じられる人でいてほしい。


だから、私は変わる!と決めました。

そして息子に「学校とか塾とか習い事とか、具合が悪いと思ったら休む休まないは自分で決めていいよ。君の人生は君が決める。私は君を信じる」と伝えました。

これは本当に冗談みたいな本当の話なんですが、これをさらっとは言えませんでした。ぐぐぐー!!と歯をくいしばりながら、絞り出すように言いました。今まで慣れ親しんだ観念からはずれようとするのは、すごい抵抗でした笑。


そして、忘れないように書いてくれ!そして壁に貼ってくれ!と言って息子にこれ↓を書いてもらいました。

これ以降、私の子供達は、そして私の子孫は全てこの「ずる休みは悪」「がんばりたくないことでも歯を食いしばってがんばらなければならない」という観念から自由になる。自由にする。

だから2024/2/19(これを息子に伝えた日)は「ずる休みしてもいいよ記念日」です。

※でも、あんまりにも頻繁に休んだらルール変更するからね!
と、どうしても余計な一言を付け加える、まだまだ器おちょこの母なのでした…。母の伸びしろ。母どんまい。

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