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「パンツ見えんで?」の風俗考証に関する小考 ―『連続テレビ小説 スカーレット』第31回より

#テレビドラマ #スカーレット #entertainment

 『連続テレビ小説 スカーレット』の今日(第31回)の放送で、喜美子が信楽の実家に戻ったとき、「パンツ見えんで? ちゃんと座りぃ」と、学校の制服姿のまま立膝で座った妹の直子をたしなめる場面がありました。ちょっと気に掛かったので、『パンツが見える。 羞恥心の現代史』(井上章一 著・新潮文庫・2018年5月)をざっと見返してみました。
 どうやら、昭和30年は「パンツが見える/見られる」ことに対する心持ちの過渡期だったようです。『パンツが見える。』では、1955(昭和30)年に発表された小説『女の部屋』(武野藤介 著)を引用し、「パンツの見えることをはずかしがる感覚は、うかがえない。逆に、戦前と同じく、女たちが風へ平気で立ち向かっている様子を、読み取れる」(252ページ)としています。
 その後、「パンツが見える/見られる」ことが、1950年代後半からは次第に羞恥の対象として拡大していったことを、種々の資料を用いて論じ、あとがきで「一九五〇年代パンチラ革命説」(458ページ)なることばでまとめてます。
 『スカーレット』第31回は昭和30年12月。当該の場面は、「革命」真っただ中の3年間を、大都会・大阪で荒木さだ(下着デザイナー・鴨居羊子がモデルか)とともに過ごした喜美子と、信楽で育った直子との間に、日常の事物に対して、その見え方と伝わり方において意識の差が生まれていたことをうかがわせる仕上がりになっていると捉えることができます。これは、喜美子が十代後半の感覚が鋭敏な時期に、日々の暮らしで、最先端のデザイン意識を知らず知らずのうちに取り入れていることを描いているとも言えるでしょう。
 こうして、「パンツ見えんで?」シーンで私が思ったのは、「時代考証と風俗考証がすごいな! 考証と脚本と演出と演技との連携がすごいな! 『スカーレット』すごいな!」です。

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