見出し画像

11月「カランコエの想い」④

 中庭へと移動した私たちだったが、お互いに気まずさから声をかけられずにベンチの端同士で座り込んでいた。彼が時折窺うような視線をこちらに向けているのが視界に入ったが、そのたびに私の視界は彼の額を捉えていた。
「・・・額の怪我の具合は、大丈夫なんですか?」
 先ほどの院内で、泣きながら怒るという自分の取り乱してしまった姿を見られている恥ずかしさと変わらない気まずさから、私は彼に視線を動かさないまま、俯いた状態で口を開く。
「・・・はい。実は、あの後すぐに梶先生に血止めの処置をしてもらって・・・。それで・・・あの・・・不調や違和感が出たらすぐに受診するようにと・・いうことで、今は何ともないです。でも・・・」
 私が彼に視線を動かさなかったことで、彼もまた歯切れが悪そうに言葉をつなぎながら、時折こちらにチラチラと視線を向けて様子を窺っていた。
「梶先生に診てもらったなら安心です。でも、どんな些細なことでもいつもと違う気がしたら、すぐに受診してください・・・じゃあ、私は戻りますので・・・お大事に」
 彼の言葉尻を感じて、また沈黙が訪れるのかと思えば怖くなって、私は被せるようにして言葉をつないだ後、その場を離れようとベンチから腰を上げた。本当ならまだ昼休憩中だし、昼食もまだだったけれど、食事は喉を通りそうになかった。
 ベンチから去ろうとした瞬間、慌てて彼が呼び止める声と同時に私の腕が掴まれる。瞬間的に掴まれた自分の腕に視線を移した時、初めて彼と目が合った。その表情は、まるで怒られた子どものように泣くのを我慢しているようでいて、こちらに向ける視線はどこか儚げで大人の色気を帯びているようで、引き留めている腕が熱をもっているかのように熱かった。その熱と彼の眼差しに私の心は囚われた。一歩も動くことは出来なかった。
「・・・嫌ですか? 相馬さんにとって、俺はもう話もしたくない存在ですか? もしも・・・そうじゃないなら、チャンスをくれませんか。俺にとってあなたは、呼吸が自然とできるような存在なんです。ただ傍に居るだけで心が落ち着く、もっと話したいしもっと話を聴いてほしい・・・だから、もし・・・さっきの怒りの矛先が、俺自身を心配してくれているだけじゃなく・・・その・・・怒ってくれた時の言葉が、あの涙が、俺の考えている好意という意味であるのなら・・・俺は、相馬さんとこの先も一緒に居たい・・・んです」

 同じ病室、眠る彼、欠かさず見舞う自分・・・ずっと変わらない光景が今も続いている。あの告白の日からもう3年もの歳月が流れようとしている中、私もずっと変わらず、彼と出逢ったこの病院で働き続けている。そして変わらない日々の中で変わったことといえば、中庭のベンチで彼と過ごした昼休憩と仕事終わりの時間は、彼が居るこの病室で共有していることと、私たちが恋人となるまでの期間と恋人になってからの思い出を振り返り始めたことだった。
 彼が目覚めなくなったのは、3年前の冬の日のことだ。凍結した路面から歩道に突っ込んできた自動車事故だった。彼は外回りの営業中、前方を歩いていた小学生の男児が事故に巻き込まれそうになったのを身を挺してかばい、意識不明の重体となった・・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?