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1月「雛菊の願い」⑩

「…解った。いつもの場所で待ってるね」

 週末、私は社会人の彼氏とデートをするために出かけることにした。家を出る前に母から少し小言を言われたので、友達の家に行くと嘘をついて着替えと靴を持って出た後、友達の家で持って出た露出高めの服と高いヒールに着替えて駅へ向かった。駅で待っている間、駅中にある花屋が目に入る度に、大学生の彼とあの女性を思い出して胸が痛んだ。店で女性に会ってからは、おばあちゃんの家にも行かなかった。おばあちゃんの家に行く母からは、お店が忙しいみたいで最近は彼を見かけないと聞けば、あの女性が店番をしていた時みたいに手伝っているのかも…と思って、気持ちが塞ぎ込んで店にも近づいていない。

 駅で待っている私の視界に、何度かエプロン姿の男性の姿が映り込む。でもどれも知らない男の人だった。一人はカフェの店員がビラ配りをしている姿、もう一人はカットモデルを探す若い美容師だった。ただギャルソンエプロンを身に着けているというだけで、私の視界は勝手に見知らぬ男たちを映し出す。その度にこんなところに居るはずもない…と自分を納得させ、その度に最後に会った日のことが気になっているだけだ、と自分に言い訳をした。そしてまた私の視界にエプロン姿の男性が映り込む。

「…もういいって。何でいちいちエプロンに反応する…」

 自分で自分に呆れながら独り言を呟きつつ、エプロン姿の男性に視線を向けると、目の前で動いていたのは本物の彼だった。開店時間はとっくに過ぎているはずなのに、彼は花をどこかに運び入れている。よく見ると他にも何人か同じTシャツを着た若い男性たちが、一緒に花木をどこかに運んでいた。ちょっと見なかっただけなのに、すごく久しぶりな懐かしい気持ちになった。でも疲れているのか、彼は少しふらついていた。

「あ…」

 背丈以上もある蔓のような木のような植物を運ぼうとした彼が、その場で足を取られて倒れそうになるのを見て、危ないと口にして駆け寄ろうとすれば、彼を隣で支えたのはあの女性だった。いつもと違うスタイリッシュなパンツスーツ姿で隣に立つ女性と、親し気に話す彼を見て立ち尽くしていると、彼がこちらを振り向くようなそぶりを見せたので、私は慌てて二人に背を向けてやり過ごした。どうせこの格好だ、後ろ姿だし距離も少し離れているし、私だと気づかれないはずだ。案の定気づかれなかったのか、次に振り返った時にはもう二人の姿はなくなっていた。駐車場にあった店の車もなくなっていた。店に帰ったんだ…と思ったら、私の足は自然と店へ向かっていた。

 幸い家を早く出過ぎたこともあって、彼との待ち合わせ時間にはまだ十分時間があった。どうしても一言だけ文句を言うつもりだった。会って顔を見て文句を言って、彼氏との久しぶりのデートを楽しむんだと意気込んで、花屋の扉を開けた。ちょうど店に帰ったばかりだったのか、入り口近くに立っていた彼が振り返る。私の姿を一瞥して、彼はいつも通り微笑んで口を開いた。

「姫奈(ひな)ちゃん、どうしたの? これからデート…?」

 いつも通りだった。出会った時から変わらない態度と口調で、彼の口からデートかと問われれば、さっき駅で女性と並んでいた姿を思い出して、イラッとした。

「自分だってそうじゃない。何がありのままで好きになってくれる人よ、何がそのままで充分素敵よ。嘘つき! あなたも結局あの女性みたいな人を選んだじゃないっ…ばかみたい。もらった花律義に飾って、枯れないように毎日水もかえて…でも結局枯れて萎れてった」

 あんな風に自分の努力も本当の自分も見てくれたことが純粋に嬉しかったのに、結局彼の隣に立って親しそうにしているのは、あの女性なのだ。それを見せつけられたようで酷く哀しかった。

「えーと…花が欲しかったの? いや、違うのかな。ごめん、姫奈ちゃんが何でそんなに怒ってるのか、よく解ってなくて…でも、嘘はついてないよ。姫奈ちゃんがどんな姫奈ちゃんだって、姫奈ちゃんは姫奈ちゃんなんだから。彼のために努力して大人になろうとしている姿も、女子高生のままの姿も、どっちも魅力的だと思う。それは嘘じゃないよ。花は確かにいつか枯れちゃうけど、姫奈ちゃんの努力は消えないし、彼が好きな気持ちだって萎れたりしないでしょ? ところでその俺があの女性みたいな人を選んだとか、何とか…って聞こえたんだけど、あの女性って?」

 当たり前だけど、彼には私の話の真意が伝わらなかった。でも当然と言えば当然のことで、それでも嘘はついてないと説明されればされる程、私の心は荒んでいき、彼が好きな気持ちは萎れないでしょと言われたら、言いようのないモヤモヤが心を埋めていった。

「店の留守番頼んだ女性が居るじゃない。今日も駅で一緒に居たし…あの人、彼とも一緒に居たし、私のこと見て失礼なこと言うし…あなたの趣味って最悪ね」

 女性のことを聞かれたら、面白くなくて嫌なことばかりが口をついて出た。それを聞いた彼が「あー」と短く言って、誰のことかようやく解ったという顔をした。それでも私が女性について悪態をつけば、苦笑い混じりに微笑んだ。

「姫奈ちゃん、志摩に会ったの? まあちょっと思ったことをすぐに口にする奴だから、失礼なこと言ってるように聞こえるかもしれないけど、贔屓目なしにしても良い奴だよ」

 彼の口から「志摩」と女性の名前が出た上に良い奴だと言われれば、予想以上のショックが私を襲った。笑いながら女性のことを話す姿に、私は手のひらをぎゅっと握る。気づけばいろいろな花の香りがする中で、息苦しさを感じる自分がいた。早くここから出ないと、自分がどうにかなってしまいそうだった。

「もういい…帰る」

 女性のことを話す彼を見ていたくなくて、俯いたまま帰ろうとした私を、彼は呼び止めた。振り返りはしたものの、顔を直視することは出来ずにいた私が店の床に視線を向けていると、「はい」と短い声と共に彼は、私の手に何かを握らせた。視界の端に映ったのは黄色い花弁だった。

「何で…これからデートだって言ったじゃない。こんなのもらっても困る」

「うん、そうなんだけど…大事にしてくれたんでしょ、あの花。枯れて哀しそうだったから渡してみた。でも要らなかったら捨ててくれていいよ…って、ごめん。電話だ…」

 私に花を渡すだけ渡して、彼は店にかかってきた電話を取る。私はその場に居ることも出来ずに店を出た。店の扉を閉めると、ついていた鈴がカランと鈍くて乾いた音を立てた。

「ばかじゃないの…どうしろっていうのよ…」

 花を片手に駅までの道を歩く。このまま待ち合わせ場所に行って、彼とデートをするって時に、この花を…この気持ちをどうすればいいのか解らなくて俯いたまま歩いていると、前方から歩いてきた男性とぶつかった。

「すみません!」

「あ…」

 男性の謝罪を聞きながら、私の視界の先に映ったのは、散らばった黄色い花弁だった。


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