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1月「雛菊の願い」①

 恋する人は男女問わず好きな人のために、オシャレしたいし、いつだって好きな人には褒めて欲しい。それがどんなに自分とはかけ離れた姿だとしても、どんなに背伸びしていたとしても…。

 彼と知り合ったのは、高2の夏だった。友だちと行った花火大会で、酔っ払いに絡まれたのを助けてくれた人だった。友だちは社会人なんて、私たちから見ればオジサンだって言ったけど、彼は立ち振る舞いもスマートで、絡んでくるオジサンたちみたいにガツガツしていなかった。最初に助けられた日から暫くは、彼のことが頭から離れなかった。でもサラリーマンなんて、高校生とは何の接点もなくて、もう会えないんだろうな…って思っていたら、偶然街中で彼の姿を見つけた。彼は本屋の入り口で急に降ってきた雨に足を止められて、止むのを待っているようで時折腕時計と空を見つめていた。私は一緒に帰っていた友達と別れて、彼の元に走った。彼は私を見てすぐに気づいてくれなかったけど、花火大会で助けてもらったと告げたら、私のことを憶えてくれていた。花火大会の日は、浴衣姿だったし、お化粧もしていたことから制服姿の私を見て、彼は私が高校生だったことにすごく驚いていた。

『浴衣が似合っていて、凄く大人っぽかったから、高校生なんて思わなかったな』

 花火大会の日は、私を助けてくれた後すぐに立ち去ってしまったから、彼と話をすることはなかったけど、あの日の彼が隣に居ることに私の心臓は高鳴った。もう一度会いたい、会って話したいと思っていたから、凄く嬉しかったのを憶えている。私は自分が差していた真っ赤な傘を彼に差し出して、使ってくださいと勇気を振り絞って言うと、彼は「じゃあ」と言って私の傘を差すと、私の手を引いて傘の中に私を入れた。

『君たちからしてみれば僕はオジサンにすぎないだろうから、こんなオジサンが真っ赤な傘を差すのは可笑しいだろう? でも君の好意を無駄にしたくないし、君とこうして二人で居れば、少しは様になると思うんだけど…どうかな? このまま駅まで一緒してもらえないかな?』

 彼は私の勇気をないがしろにすることはなかった。そんな彼の大人な対応に、私の心は簡単に落ちてしまう。私は恥ずかしさで頷くことしか出来なかったけど、相合傘で歩く駅までの道のりはあっという間に感じた。駅に着いた後、彼はタクシーを拾うからと言ったけど、自分の鞄の中に黒い折り畳み傘を持っていることに気づいた私は、少し小さいけれど真っ赤な傘よりは良いだろうと思って、彼に折り畳み傘を差し出した。彼は最初は遠慮していたけれど、花火大会の日のお礼に…と食い下がった私に、「じゃあ」と言って受け取ってくれた。そして明日、今日と同じこの時間に、この駅に来て欲しいと言って、足早に去って行った。私は彼の姿が見えなくなるまで見送った後、興奮で飛び跳ねた。

 翌日、彼は少し遅れて駅にやってきた。仕事の途中だと話す彼が、わざわざ私に傘を返すために、時間を作ってくれたんだと思うと、嬉しさで顔がにやけた。

『昨日はありがとう。傘、助かったよ。それと僕が約束を取り付けておきながら、君の貴重な時間を割いてしまったことへのお詫びとお礼を兼ねて、良かったらもらってくれる?』

 彼は傘のお礼と遅れたお詫びと言って、真っ赤なバラとカスミソウの小さな花束をくれた。傘を差しだしたのは、私の勝手な想いだったし、こうして彼と再び会う約束が出来たのも嬉しかったし、遅れたと言っても5分とかそこらの時間で、待つ時間は苦でも何でもなかった私にしてみれば、花束を受け取って良いのかどうか躊躇われた。

『ここに来る途中で、花屋を通ったんだ。この真っ赤なバラを見た時に、昨日君とあの赤い傘を差して、雨の中を歩いたことを思い出したんだ。年甲斐もなくバラを買って、君みたいな若い子に贈っても困るかな…とも思ったんだけどね…』

『そんなことないですっ…あ、の…嬉しいです』

 私が彼の差し出した花を前に躊躇していると、彼はバラの花を買った経緯を少し気恥ずかしそうに説明してくれた。その姿を見た私は、慌てて声をかけたが、自分の第一声が自分でも予想以上に大きな声になって、恥ずかしさが立ってしまい、彼の顔が見れなくなった。そのまま俯きながらではあったが、私はお礼を言って、彼から花束を受け取った。でも彼はバラの花を持った私を見て、苦笑い混じりに言った。

『やっぱり、もう少し可愛らしい花にすれば良かったかな。花火大会の時も昨日の真っ赤な傘を差す君も大人びて見えたから、バラの花を買ってしまったけれど、こうして制服姿の君を見ていると、贈る花を間違えたかな…』

 花屋の前で真っ赤なバラを見て、私を思い出してくれたことが嬉しかった。花火大会の日のことも憶えていてくれて嬉しかった。私の中で彼への想いが溢れていたからこそ、彼が贈ってくれる花に相応しくありたいと強く思った。

『私、あなたが贈ってくれたこの花に相応しい大人の女性になります! 今の…制服姿の私じゃ無理かもしれないけど、あなたの隣に立っても可笑しくない女性になりますから…だから、もう一度チャンスをくれませんか』

 彼は私の勢いに驚いていたけど、私は必死に食いついて、週末の同じ時間に駅で会って欲しいと約束を強引に取り付けた。そして週末までに、私は本屋でファッション誌を買い漁り、化粧がうまい友だちに相談にのってもらったり、夏休み前のバイト代で大人びた服を買ったりして、彼のために…いや、彼に相応しい女性になるために研究した。

 約束の週末…彼を駅で待つ間、何度もスマホのカメラ機能で自分の姿をチェックした。彼の予定を聞かないまま、強引に約束をとりつけたこともあり、本当に来てくれるのかという不安もあった。もしかして仕事だったりするのかも…という疑念も捨てきれなかった。約束の時間よりも随分早く着いたこともあり、考えれば考える程不安でしかなかった。それでも諦めずに約束の時間まで待っている間、何度か見知らぬナンパ男が近づいてきたが、無視していた。大抵の男たちは見向きもしない私につまらないと言って、立ち去って行ったけど、スーツを着た男性が私の前に立ちはだかった。最初は彼が来てくれたのかと思って、顔を勢いよくあげたのだが、似ても似つかない男性だったことに気づき、すぐに素知らぬフリをしたけれど、最初の動向が良くなかったのか、男性はしつこく食い下がってきた。慣れない高さのミュールを履いていたこともあり、男性の誘いの手を振り払った勢いで、私の重心が傾く。倒れる! と思いながらも為す術なく、衝撃に備えて目を瞑った私の背中にぶつかったのは、冷たくて硬いコンクリートではなく、やわらかくて温かいものだった。

 私は何だろうと思って目を開けると、彼の腕の中に包まれていた。いつの間にかしつこい男性の姿はなく、私の体を包む彼の心臓の音がドクドクと聞こえてきた。視線を上げれば、彼の慌てた表情と走ってきてくれたのか、頬を伝わる汗が目に入った。背中に感じる彼の温もりの中で、私は堪らずフフフと声を漏らす。しつこい男性も地面に叩きつけられていたかもしれなかったことに対しても、あんなに恐怖でしかなかったのに、彼が来てくれたことへの喜びと、彼に抱き締められているという現実が幸せとなって、今自分の身に起きている。それが言葉では表現出来ないけれど、いろんなことがいっぺんに起こって、感情もない交ぜになって、私を可笑しくさせた。

『…なんで笑ってるの。凄くびっくりした。約束の時間に来てみたら君は、男にまた絡まれているし、倒れそうになってるし…こんなに走ったのは久しぶりだ』

 彼は私を抱き留めながら、溜息をつく。私は彼に支えてもらいながら立ち上がって、彼と向き合う。

『あなたは私たちから見ればオジサンだって言ったけど、あなたから見れば私は子どもかもしれない。でも私は、あなたの隣に居ても恥ずかしくない女性でありたいです。だから…今日の私を見て、少しでも可能性があるなら…もう一度私にバラの花をくれませんか』

 傘を差しだした時と同じように私は勇気を振り絞って伝えた。それでも彼の顔を見ることは出来なくて、目をぎゅっと瞑って彼の前に右手を差し出した。彼が声を出すまでの時間が物凄く長く感じて、心臓が口から飛び出そうな程、ドキドキしていた。少しして頭上から彼の溜息が聞こえる。やっぱりダメだったのか…と思えば、涙で地面が滲んでくる。それでも笑顔を無理やり作って、差し出した手を引っ込めて顔を上げると、彼はあの日と同じように私にバラの花束を差し出してくれた。どこか照れた顔つきで、咳ばらいをして、私に愛を告げてくれた。それが私と彼との最初の出会い…。

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