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執着を手放すこと。

また一つ年齢を重ね、手放したいものがあります。
執着です。私を傷つける者や言葉に対する、執着。

私は、桜田 真碧として生きていると、敵意のある言葉を投げつけられる機会があります。妬み、嫉み、憎しみ、恨み────。溢れんばかりのそれが込められた言葉を、他人が知らぬ間に用意し「こいつをどうにか傷付けてやりたい」と攻撃を試みるのです。

例えばそれらは、そもそも私という存在を人間的に好いていなかったり、私の写真家としての信念や発信のスタンスが彼らのなかで歪に曲解されていたり。そういった積み重ねにより桜田 真碧への嫌悪感が抑えられなくなった場合に生じます。

これまでは、一つひとつの攻撃に対して、とても律儀に胸を痛めてきました。投げつけられた敵意を真正面から受け取り、しっかりと噛み締め、丁寧に飲み込んでいました。かつて、悪意の込められたそれに囚われる時間というのは実に長く、私の心や脳内は傷で占拠されていて。

これは、実際の私と現実の場面で深く関わったことのある人ならご存知かと思いますが、私の土台には性善説が常にあり、驚くほど人が好きで、そのぶん素直だからです。悪意はきっとないのだと思い込んで、受け取る選択をしてしまうからです。

私のこの素直さを見抜いてか、そこに付け込んで「攻撃」というものを楽しむ人が一部いらっしゃいます。この揺るぎない事実を幾度となく痛感した私は、これによって私に付いた傷の数々を、そろそろ手放したい。


私の、20代前半が終わった。
相も変わらず、私はたくさんの葛藤を抱えながら生きている。そして、これからもっと、もっと、自身の作品たちと「撮ること」と桜田 真碧と向き合っていく。

そんな私を「攻撃」のためにじっと息を潜めながら見続けるような他人の存在よりも、「心から支えたい」純粋無垢な愛の眼差しで守ってくださる一人ひとりを、ずっと大切にしたい。


これからも私は、愛を込め続けます。

あたたかく見守ってくださる皆さまへ、本当にありがとう。





そして、本日のラジオでは、数ある「執着」のなかでも特に「恋愛」にフォーカスを当ててお話ししております。ご興味がございましたら、どうぞ。





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