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ショートショート65:金貸してくんない?

 ありきたりだが競馬で有り金を全部溶かした。
 給料日まではまだ10日もある。
 10日を残金0で乗り切らなければならない。

 どうやって金を工面しようかと悩みながら近所を歩いていたら、ファミレスの窓際の席から知った顔が手を降っているのが見えた。

 友人の江崎だった。
 江崎に金を借りようと思った。

 優しくて心の広い江崎なら頼めば貸してくれるに違いない。

 俺は平静を装ってファミレスに入ると、江崎のテーブルに座った。江崎はテーブルの上にパンパンに膨らんだ財布を置いていた。

「昼飯か?」

 俺は聞いた。

「いや、先輩と待ち合わせてるんだよね。もうすぐ来ると思うんだけど」

「え、じゃあ俺邪魔じゃない?」

「いや邪魔ってことはないけど。まさか手を振ったら店に入ってくるなんて思わなくて」

「あ、そうか。悪い」

「いいよ。暇してたし」

 江崎は屈託なく笑った。
 その笑顔には申し訳ないが、これから江崎の先輩が来るというのであれば、無心をためらっている時間はない。

「なあ、えざ」

「ごめん少し荷物見ててもらっていい?トイレ行きたくて」

 声が重なった。
 江崎は俺の言葉を遮ってしまったことに気がついて、

「いまなにか言った?」

「あ、いや、大したことじゃない」

「そう?そしたら戻ってきたら聞くわ。ごめんな。漏れそうなんだ」

 江崎は冗談めかして言うと、そのままトイレの方へ歩いていく。

 テーブルにはパンパンに膨らんだ財布が残されていた。
 
 俺の目は即座にその財布にいった。

 周囲の様子をうかがいながら、できるかぎりさりげない動作で財布を手に取る。中身を見る。1万円札が1枚と、1000円札が数枚。小銭はない。

 さすがに1枚しかない1万円札を抜いたらバレるだろう、何枚あるかもわからない1000円札なら1枚だけならバレないかも知れない。

 俺は札入れの1000円札に指で触れながら悩んだ。
 友達の財布から金を抜く。江崎なら頼めば貸してくれるかも知れない。でも貸してくれない可能性もある。金の切れ目が縁の切れ目と言うではないか。貸してくれと頼んだが最後、江崎はもう金輪際俺と会ってくれないかも知れない。江崎だけじゃない。共通の友達みんなから距離を取られるかも知れない。

 たかが1000円札だ。バレやしない。気づくはずがない。大丈夫だ。早くしないと江崎が戻ってくる。トイレの方で水が流れる音がした。ドアが動く。江崎が出てくる。覚悟を決めろ。抜くなら抜け、抜かないなら今すぐ財布を離せ。この状態を見られるのが一番まずい。

 抜いた。
 1000円札を1枚、素早く財布から抜き取って、何食わぬ顔で自分のポケットにしまった。ごめん江崎と声に出さずに謝った。

 江崎がスッキリした顔でトイレから戻ってきた。

「さっきは話遮っちゃってごめん」

「いや、いいんだ。本当に大したことじゃなかったし」

「そう?」

 それよりも早くこの場から逃げよう。先輩が来るというのだからそれを理由にとっとと出てしまおう。

 背中に冷たい汗が浮くのを感じながら腰上げたとき、ファミレスの入り口のカウベルがからんからんと音を立てた。

「あ、おつかれさまです」

 江崎が立ち上がっていった。入り口の方から強面髭面の、ヤンチャそうな男が歩いてきた。あれが先輩らしい。

「じゃあ、俺は、これで」

 小さな声でそう言って立ち去ろうとすると、江崎はテーブルの上の財布を掴んで先輩に見せた。

「悪いな江崎」

 テーブルにやってきた先輩は江崎から財布を受け取って言った。

「いえ全然っす」

 帰るタイミングを失って二人のやり取りに耳を傾けていた俺は、テーブルの上の財布が江崎のではなく先輩のものであること、飲み会で先輩が忘れたのを江崎が一時的に預かっていたこと、この店で渡す約束になっていたということを理解した。

 ますますこの場から逃げた方がいい。そう思っているのに足が動かなかった。

 先輩が財布を開き、中に入っていた札束を数え始めたのだ。
 
 そんな先輩の姿を見て江崎が茶化す。

「俺がお金とったと思ってるんですか?」

「ちげーよ。今日これから支払わなきゃいけない金があって、ちゃんと揃ってるかなっつー確認」

 冷や汗が止まらなくなった。

 1000円札を数えていた先輩の指が止まった。先輩は首を傾げ、もう一度最初から数え直す。

「全部ありました?」

「江崎」

「はい?」

「この財布はお前がずっと持ってたのか?」

「ええ。飲み会終わりから今日までずっと。俺が持ってました」

「誰かに渡したりしてないか?」

「してないです」

「じゃあてめえか」

「え?」

 江崎の顔面に先輩の拳が飛んだ。江崎はソファーに倒れ込む。一瞬の内に顔面が鼻血で真っ赤に染まっていた。

 先輩は状況を理解していない江崎の髪をひっつかみ、テーブルの上に叩きつけた。江崎は鈍いうめき声を上げて床に崩れ落ちた。

 あまりにも獰猛な振る舞いに俺も店員も誰も動けなかった。

「江崎。1000円たりねーんだよボケ。盗みやがったな?」

「い、いや、俺は、なにも」

「じゃあ俺の数え間違だってのか?」

 先輩は江崎を床から引きずりあげてソファに座らせると、血だらけの顔の前に手のひらを差し出した。

「財布出せ」

「さ、さいふ?」

「早くしろ」

 江崎は「ひっ」と小さく悲鳴を上げながら自分のポケットを探り、二つ折りの薄っぺらい財布を引っ張り出した。

「おう。全部もらってくぞ」

「ぜ、全部?」

「あ?人の財布から金抜いといて、ナメたこと言ってんなよ?」

「あ、お、おれじゃ」

「るせーよ」

 先輩は最後に財布で江崎の頭をひっぱたくと、そのまま一度も振り返ることなくファミレスから出ていった。

 あとには散らかったテーブルと血だらけの江崎と、無傷の俺が残った。ポケットの中で握りしめた1000円札が湿っていた。

「いやー、ごめんごめん」

 江崎は泣き笑いの顔で俺を見上げていった。

「見苦しいもの見せちゃった」

「いや、俺は」

「ごめん、財布持ってかれちゃって……あとで返すからファミレス代借りていい?」

 何も知らない江崎の視線が痛かった。
 俺はテーブルに置かれた伝票を見た。

 会計金額はちょうど1000円だった。

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