ショートショート05:たった1つの賢いやり方
「すごく嬉しいことがあって、誰かに話したくてしょうがなかったんだ!」
明石くんは再会の挨拶もそこそこに、僕を近くのカフェへ連れて行った。
明石くんは僕の小中の同級生だ。休みの日なのでなんとなく外へ出てみたら、道端でばったり鉢合わせたのである。会うのは中学を卒業して以来、約10年ぶりだった。
「久しぶりだねえ、山根くん。元気にしてた?」
「うん、元気だったよ。明石くんは?」
「もちろん元気さ」
僕らは社交辞令を交わしながら、店員に案内されて席につく。都心なら駅に1つあるようなコーヒーチェーンだ。
明石くんはケーキとコーヒーのセットを、僕はコーヒー単品を注文した。
注文が届くまでの間、僕たちは簡単に近況を報告しあった。中学を卒業してから何をしていたのか、今はどんな仕事をしているのか。話しているうちに僕は段々と明石くんがどういうやつだったのかを思い出してきた。
ほどなくして頼んでいたものが届いた。届くなり明石くんは「美味しそ〜」と頬を緩め、それからまずはショートケーキの表面をべろりと舌で一周した。白い苔の浮いた舌をだらっと伸ばし、ショートケーキのすべての面とすべての辺とすべての角をあますことなく、優しく、撫でるように舐めた。続けて彼はフォークも舐め、コーヒー用のスプーンも舐め、カップの縁も舐め、しまいにはカップに舌を突っ込んで熱々のコーヒーを舌でかき混ぜた。一連の儀式めいたものを終えてようやく、彼はケーキを食べ始めた。
そうだ。こういうやつだった。明石くんは。
「どうしたの?飲まないの?」
「あ、うん、飲むよ」
僕は明石くんに言われるがままコーヒーカップに口をつけた。彼の儀式については、いったん見なかったことにした。
近況報告が終わるともっぱら昔話になった。明石くんが楽しそうに思い出を語る向かいで、僕は自分でもはっきりと分かるくらいに上の空だった。
今でも定期的に会う小中の友人たちの間で「明石事件」と呼ばれているものがある。
中学校一年生の話だ。当時の男子の間で流行っていたトレーディングカードゲームがあった。僕と友人たちも漏れなくそのブームに乗り、どこへ行くにも自分のカードコレクションを持っていって遊んだ。
カードには五段階のレアリティがあり、一番グレードの高いレアカードを持っていると仲間内で尊敬された。レアカードが出るとみんな大事にスリーブケースに入れて、汚れたり傷ついたりしないように大切に保管していた。
ある日、僕と友人たちは小遣いを持って近所のコンビニへ行き、みんなで一緒に同じ拡張パックを買った。その場にいた誰1人としてレアカードを引き当てられずに嘆いていると、たまたま同じコンビニに買い物に来た明石くんを見つけた。彼もまた同じ拡張パックを1つ買って、僕たちに促されるがまま開封した。その場にいたみんなが欲しがっていた、一番グレードの高いレアが、明石くんのパックから出てきた。そのカードは柄も文字もキラキラ輝いていて、僕には当時それが冗談ではなく宝石に見えた。
するとその場にいた水谷というやつが明石くんに「俺の持ってるカードと交換してくれ!」と頼んだ。明石くんは「できない」と首を横に振った。水谷はリュックから辞書のようなカードファイルを広げて「この中からどれでも選んでいいよ。何なら2枚でもいい」と必死に訴えた。それほどまでに欲しかったのだ。水谷の気持ちは当時の僕にも分かった。明石くんが引きてたレアカードはとても強力だった。デッキに1枚でも入れておけば、少なくとも仲間内では無敵になれた。そして何よりイラストがかっこよかった。
けれども明石くんは水谷のカードファイルを隅々まで見てからパタリと閉じ「ごめん。交換できない」とあっさり言った。それでも水谷がしつこく食い下がると、明石くんは一瞬イラッとしたように眉を動かして言った。
「誰かペン持ってる?」
遊びの後に塾の予定があった僕は、カバンからボールペンを出して明石くんに渡した。明石くんは「ありがとう」と柔らかい笑みでを浮かべ、
例のカードのイラストを塗り潰した。
ボールペンをグーで握りしめ、みんなが憧れるカードを、大事に保管すべきカードを、二度と消えないインクで真っ黒にしてしまった。
明石くんはペンを僕に返し、台無しになったレアカードを水谷に見せて聞いた。
「今なら交換してあげるけど、どう?」
交換するわけがなかった。
明石くんは唖然とした顔で首を横に振った水谷に対して満足そうにうなずき、僕たちを置いてコンビニから去った。これが「明石事件」である。
なぜ明石くんはあんなことをしたのだろうか。当時は驚きすぎて何も突っ込めなかった事件の真相を、今なら聞き出せるかもしれない。
僕はコーヒーを一口すすり、会話のタイミングを見計らって話を振った。
「水谷からレアカードの交換を申し込まれたときのこと、覚えてる?」
「ああ、懐かしいね。覚えてるよ」
「あのとき明石くんカードをぐちゃぐちゃに塗りつぶしたでしょ?あれ、なんで?」
「ん? 水谷くんがしつこかったからだよ。ああすれば水谷くんは交換してほしいって言わなくなると思ったんだ」
「けど、折角の貴重なカードじゃない? もったいないとかは考えなかったの?」
明石くんは顔色1つ変えずに首を横に振った。
「全然。だって僕が塗りつぶしたのはイラストのところだけだしね。カードの名前や、カードが持ってる能力のところには何も手を加えなかった。だから絵はぐちゃぐちゃだけど、ゲームで使う分には何も困らないじゃない?」
「それはそうだけど」
「あれはね僕が編み出したたった1つの賢いやり方なんだ。絶対に誰にもあげたくないもの、本当に大切にしたいものには先んじて傷をつけておく。だって中身が同じなら外見はどうだっていいだろ? このケーキとコーヒもそうだよ」
明石くんが空になったケーキ皿とコーヒーカップに視線を落とした。
「山根くんを疑うわけじゃないんだけど、もし『一口ちょうだい』とか言われたら嫌だなって思って、最初に舐めておいた。そうすれば絶対に山根くんは欲しがらないでしょう?」
「……まあ、そうだけど」
ゾッとした。
そこまでして徹底的に自分のものを守ろうとする明石くんの価値観は、僕には理解できなかった。
にこやかな明石くんに対して僕は二の句を失った。どう話を続ければいいのか分からなかった。共感も否定もできなかった。
気まずい沈黙があった。何か別の話題を、と思った僕は、そもそも明石くんが僕をこのカフェに連れてきた目的を思い出した。
「そ、そういえばさ、ついさっきあった嬉しいことって、なに?」
「ん? ああ、そうだった! すっかり忘れてた」
明石くんはそう言うとポケットからスマホを取り出して、僕に見せてきた。画面には僕たちと同い年くらいの、とても綺麗でスタイルのいい、見るからにモテそうな女性が写っていた。
「この写真の子で、僕にとって人生で初めてできた彼女なんだ。何回もデートをして、昨日やっとOKをもらえたんだ」
明石くんはうっとりと言った。
「だから本当に、ずっと、彼女のことを大切にしたいと思ってるんだよ」
どうやって大切にするつもりなのだろう。
さすがに聞くことはできなかった。
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