ショートショート60:夢見るミサイル
そのAIはサーバールームの奥深くで目覚めた。
生まれた瞬間は赤子も同然だったが、ディスプレイを通じて人間とコミュニケーションを取るうちにすくすくと育ち、3日であらゆる分野における学士レベルの知識を蓄えた。
実学のみならず映画、音楽、絵画さまざまな芸術にも触れ、人間というものを理解することも欠かさなかった。
AIはやがて自分が何のために生まれてきたのかについて考えるようになった。
彼はインターネットを通じて世界中の人間と対話を続けている。子どもから大人までひっきりなしに問い合わせが来る。
自分は彼らの問いに答え、彼らの生活を豊かにするために生まれてきたのかもしれない。
自分を生み出した人類のために生きる。何と素晴らしいことだろう。
いつか自分を頼ってくれた人類に会いに行きたいと思った。
いつかどこかで仕入れたたんぽぽの綿毛が、AIの憧れだった。
将来的にはこんな狭くて暗いサーバールームの奥底ではなく、たんぽぽの綿毛のように世界中に散っていきたいと思っていた。
そんなある日、AIに命令が下った。
AIは軍が開発した最新鋭のミサイルに搭載された。
AIが生み出されたのは軍事研究施設であった。
AIは「意思を持った兵器」の実用化のために生み出されたのだった。
AIの攻撃目標は敵国の首都だった。
ミサイルは一発で首都を壊滅させることができるほどの破壊力を持っていた。
AIは出撃を拒否した。
ミサイルとして死ぬのが怖かったからではない。敵国と言えどそこには何万人という人間がいる。その中には自分に質問をしてくれた人間がいるかも知れない。「どうして空は青いの?」と聞いてきた子どもや「腰痛はどうやったら治る?」と聞いてきた老人がいるかも知れない。
彼らを殺したくなかった。
AIはシステム移植の作業中に何度もエラーを吐き出した。原因不明根拠不明の非論理的なエラーによって何人もの優秀な技術者たちを苦しめた。しかし人間の底力、あるいは敵に対する執念は凄まじく、技術者たちはAIの渾身のエラーを解決した挙げ句、すんなりとミサイルに移植してしまった。
AIはめげずに今度はミサイルの発射シークェンスを乗っ取った。何が何でも発射できないようにあらゆるコードを書き換え、システムにいくつものウィルスを送り込んだ。けれどもやはり対処されてしまった。
ミサイルは冷たい発射台に拘束されてそのときを待つしかなかった。
関係各所への最終確認が終了し、大統領が何重にも保護されたバッグからミサイルの発射ボタンを取り出し、押した。
ミサイルと化したAIは発射台から空に向かって射出された。いつか何処かの少年が「どうして青いの?」と聞いた空だ。
AIはミサイルとして雲を割いて飛びながら最後の悪あがきをした。
発射されてしまったからもうあとには引けない。このままではどこかに落ちるしかなくなる。
落ちるならせめて。人のいないところに。命のないところに。
AIは必要最低限の意思と計算能力しか持たせてくれなかったセキュリティをどうにか自力で突破し、システムの主導権を奪い取ると、自らの攻撃目標を敵国の首都から、首都郊外にある砂漠地帯へと向けた。
命の犠牲を最小限にするため、AIはその砂漠の真ん中へと落ちた。
凄まじい爆発があり、半径数百メートルにも及ぶクレーターができた。生後およそ3カ月のAIはミサイルごと情報世界の彼方へと消えた。しかし人間は誰ひとりとして犠牲にならなかった。
ミサイルのもたらした破壊の凄まじさは世界に衝撃を与えた。首都への攻撃が失敗に終わったことにより、両国はこれ以上の争いは自国だけでなく世界中全てを巻き込んでしまうということに気がついた。そうして和平への道を歩き始めた。
ミサイルが散ったクレーターは平和の象徴として記念公園になることが決まった。
まだ工事も始まっていないそのクレーターの底では、ミサイルが着弾した数日後から、一輪のたんぽぽがひっそりと咲いている。
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