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「ぶりっこ」と言われていた子が忘れられない話

朝から小学生の頃に「ぶりっこ」と言われていた女の子がずっと頭の中にはりついている。

男女から「ぶりっ子」と言われていたけど、私はどうしてそう呼ばれているのかが分からなかった。未だに思い返すたびに言われていた意味が分からないまま終わる。

その子は名前も可愛ければ、髪の毛は絹の糸のようにさらさらで地毛だが少し茶色の可愛い女の子だった。悪口を言うこともないし、真面目な女の子だったと思う。

ちなみに私は正直、その子とは「トモダチ」と言えるような関係ではない。

ただ帰りのバスが一緒でときどき話すぐらい。あと6年生の頃に、運動委員会というクラスで男女1人しか入れない委員会が一緒だったことぐらいだ。多分、1人ずつしか入れず友人と固まって入ることができない委員会だったので、人気じゃなかったのだ。真面目な子だったし、なかなか委員会が決まらないことを見かねたその子は、入ることにしたのではないかと委員会の顔合わせのときになんとなく思った。

今でもその子で忘れられないのは宿泊活動。私はその子と宿泊活動のグループが一緒だった。

宿泊活動には林の中を探検するイベントがあった。先生の引率をされずにグループで協力しながら道を進んでいく。しかし、私たちは道に迷ってしまったのだ。どこで道に迷ってしまったのか分からない。始めの頃は、他のグループに遭遇し「またねー」と挨拶していたが、今では全然遭遇しない。

集合時間はどんどん近づき、班長だったその子の顔には焦りが見えている。

しばらく進むものの出口は見えない。まあ、迷っちゃったし仕方ないよなと私は他人事のように考えていたけれど

その子は「ごめん…ごめんね私が…」と泣き始めてしまった。

グループのメンバーは誰も責めることなんてできなかった。

私はなんでみんなに謝りながら泣けるんだろうってまた他人事だったけど思ってしまった。もちろん、みんなを引っ張って初めて行く場所を上手く進むことができるか分からないことへの不安もあったのではないかと思う。

こんな子なのにどこがぶりっ子なんだろう。

「もう進みたくないよ、やだよ」って言っていたら(まあそうだよね)って思っていたけど、迷ってしまったことの負い目からみんなに謝る姿になぜか私は、不思議な気持ちになっていた。

私はこのあとに、どうやって林の中を出たのかは覚えていない。し、もしかしたらこれは私が昔見た夢だったのかもしれない、なんてすら考えてしまう。

なんで泣きながら謝る姿を今でも思い出すのか分からない。


ちなみにぶりっ子と言われていた子は、成績優秀で将来の夢は「大好きな犬を救う獣医になること」と目標を立てていたのを今でも何故か覚えている。そして、ワタシの通っていた小学6年生で唯1人中学受験を受け、見事合格したのかその子は小学校卒業とともに姿が分からなくなった。

時々、今どうしているんだろう、と思いながらGoogleで名前検索をしても出てくるはずもなく、ただ私はその子を思い出すことしかできない。

ただ私は、その子が今いるところでちゃんと認められてほしい。あの頃、上から目線な気もしちゃうけど、「全然ぶりっ子なんかじゃないし、すごく頑張ってるよ」って言えばよかった。ワタシにとってあの子に掛けられる言葉のほとんどは妬みだったんじゃないかと今では思う。だからその分、ワタシは素直に好きなことを伝えればよかったんだ。

あともしも偶然会えたなら、獣医になれたか聞きたい。そして地元を離れた後、どんなことをしたのかただなんとなく聞きたい。

多分その子にとって私はただのモブだっただろうし、「○○ちゃん、ワタシのこと覚えている?」と今聞いても誰なのか思い出してくれはしないだろう。し、今小学生の頃と関わりを持っていた人と連絡をほとんど取り合っていないだろう。もう会う確率なんて0に近い。

けれど、どこかでいつか会えたらいいなと思ってしまう。

他の人も全然関わりのない人のはずだったのに、なぜか忘れられない人っているのだろうか。ワタシはそんな誰かにとってなぜか忘れられない人になっていたりするのだろうか。


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