見出し画像

伊勢参りの旅

江戸時代、庶民の間でも大流行したお伊勢参り。
旅にはお金も手間もいっぱいかかる。
一生のうち一度は行きたいお伊勢参り。
江戸時代の庶民は、みんなでお金を集めて積み立て、代参というかたちで代表の人に御札の授与を託したとのこと。
それを「講」という。

わたしが在学していた大学には、「実験歴史学」を実践していた教授がいて、ゼミ生は江戸時代のくらしを実体験させられていた。
畑を作ったり、からくりおもちゃを作らされたり、4泊5日で奈良から伊勢まで歩いて「伊勢参り」をやってみたり。

わたしはそこのゼミ生ではなかったのだけど、ひょんな経緯で卒業後に5年間ほど(うち3回は榛原〜伊勢市駅前までの区間参加)参加させてもらったことがある。

学生たちは、年に1度の講参りのために、街道の下調べ、途中で泊まる宿、今も街道沿いに残る石碑、そして装束などたくさんの準備を行う。

おかげ参りが流行った頃は、柄杓一本さえあれば、接待のみでもお参りできたらしいけど、今やクルマ社会になり、移動距離の観念もすっかり変わってしまった。

昔はあった宿場や茶屋も今はすたれ、食事や休憩をするところもなくなってしまったため、現代の講参りは荷物や食べ物飲み物をハイエースに積み込み、移動茶屋として機能する。

おかげで、軽装で歩くことができるんですが、サポート車の学生は大変だったろうな…。


まずは長谷まで

講の始めは、地元の神社でまずは道中祈願。大学は奈良市の北部にあるので、そこから奈良市街まで行き、上ツ道を南下。
途中には帯解寺や大神神社を経由し、長谷寺へ。
長谷参りに来たわけではないので、長谷寺には行かないけど、希望者は行ったとか?
…いやもう、1日(1日あたり約30km歩きます。)舗装道路を歩いてきたんだから、そんな余裕はないって😂
なんか長谷の宿ではマメ潰しした思い出しかなくて😂💦💦

マメを潰して、中身を出し、そこにヨードチンキを…😂😂😂
潰すとこまでは痛くないんだけどね😂
でもやっておかないと、翌日からの歩きに影響するから、やる。
お祭り状態になって、みんなでやっちゃうと楽し。


山道を行く

わたしの印象では、榛原札の辻を過ぎたあたりから、山道や峠越えが多くなる。
歩くのは3月始めなので、峠には雪が残るところも?

峠越え、道自体は大変だったりするけど、景色は変わるし、実はアスファルトの道より歩きやすい。
学生の中には、三役というのがあって、先達(せんだち)・中締め・殿(しんがり)とあるんだけど、役の彼らは江戸時代の装束で歩く。
菅笠に脚絆に草鞋姿。
この草鞋が、アスファルトではだめになりやすいんだって。
山道でこそ真価を発揮する草鞋。
旅人が草鞋を使うのもちゃんと理由があるんだね。
(草鞋と草履は違いますよ〜。)

峠道(石割峠)

このあたりのルートでは、一緒に参加している他学科の教授がひたすらフキノトウをとっていたことばかり覚えていて(笑)。
腰に袋を引っ提げて、山の土手でフキノトウの収穫に精を出す。
(もちろん歩きながら。ペースは落とさないのがすごい。)

収穫した(?)フキノトウはその日の宿にお願いして、蕗の薹味噌や軽く煎ってお味噌汁の薬味に。
この時初めてフキノトウを食べました。
(今や見つけたら天ぷらにしちゃうけど🤭(原発事故前は毎年作ってました(笑)。))

この日泊まる宿は、本街道沿いに残る数少ない民宿。
ここしか泊まるところはないんだって。
(今は知りませんが。)
何しろ学生たちの大所帯。全員を泊めるために、宿主さん家族のプライベートスペースまで空けて泊めてくれるの。
ありがたいよね。

2日目の宿、土屋原の「まつや」さん

そういえば、2日目の昼食は諸木野ってところのある民家の軒先でとるんだけど、この場所には逸話があって。
ある年の伊勢参りの時、雨が降ってお弁当を食べるのに困って、サポート車メンバーが駆け込んでお願いしたのが、この家の軒先。
そしたら、お味噌汁を作って出してくれたんだって。
数十人分のお味噌汁は、お揃いのお椀で出されてきたそうな。
数十個もお揃いのお椀?
そのお家は、かつて宿屋だったとのこと。
宿場町でもなさそうなところだったけど、昔は大切な宿だったんだろうな…。

県境を超える

3日目は県境を越えて、三重県に。
県境に小さな橋があるのですが、そこで毎年記念集合写真をパチリ。

3日目には最大(?)の峠、飼坂峠を越える。
この峠は急坂で、九十九折の山道と、足もとの朴の落葉が印象的。
そして電柱のあちこちに見受けられる「発砲注意」の貼札…いや、どうやって注意すんねん😂
そしてこの飼坂峠、今は飼坂トンネルであっという間😂だったりする(笑)。

そのまま山間の舗装道路を歩いていくと、立派なお家がある静かな集落が見えてくる。
集落の名前は「峠」。
すでに廃村になっていて、元住民は通いで畑などの手入れをしに行っているらしい。
どうりで誰もいないのに、なんとなく人の気配がある。なんか不思議な空間でした。

この集落から山道を下ると、これで山道はおしまい。
4日目からは平坦な道を行きます。

ようやく伊勢へ

4日目はひたすら松阪(飯南町)〜多気〜玉城と平坦な道を行く。
前日まで山道峠道の道のりだったので、疲れもあって、ダレる😅💧
…ので、実はあんまりおぼえていません😅💧💧💧

夕方暗くなる頃にようやく伊勢市駅前へ。
駅前の旅館に泊まって、参拝に備えます。

明日はようやく神宮参拝!
そんな日は日常の穢れ?を祓うべく、大宴会(笑)。
…いや、昔もそうだったんだそうで🤭
長い道中を労いながら、宴会に興じるのでありました😊


そして神宮参拝

翌日最終日は、早めに朝食をとり、朝から外宮参拝。
早朝の神宮はほんとに気持ちがいいです。
空気が違う。
末社等には寄らず、参拝します。
だからあんなに中や周りに神社があるって知らなかった。
(ので、やっぱり改めて行きたい。)
ちゃんと正式参拝の仕方を教えてもらいました🙂

外宮から内宮へももちろん歩いて。
五十鈴川で手を清めてから、参拝しました🙂

そのあとは、おかげ横丁でお昼&自由時間。
何年も行っていると、おなじみの客になっていて。
(ってか、装束した集団だから目立つよね(笑)。)
赤福をいただいて、帰路につきます。

5日かけた道程も、近鉄特急なら2時間であっという間。
このギャップがまたおもしろい。
(ちなみに、近鉄特急の走る近鉄大阪線は、かつての伊勢北街道(あお(青山峠)越え)に沿って走っています。ゆえに、旧街道はほとんど廃れているそう。)

最寄り駅到着後は、また神社に寄って無事帰還のお知らせと、道中のお礼をいうのでした。


あ、ちゃんと神宮大麻は毎年いただいていたそうです😊
講参りなんで。

このゼミの教授も、退官しちゃったので、今はやってないんですが、当時この講をずっとお手伝いしていた先輩が、ならまちの「からくりおもちゃ館」を10年くらい前に始めています。
伊勢参りのはなしは出てこなくても、当時ゼミで取り組んでいたからくりおもちゃをいろいろ体験できるそうです。
ご興味ありましたら、ぜひ😊




#デジ近note部 についてはこちら🙂



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?