生まれて来る声たちの、想い。
羽生くん情報色々来てるね
サブスク堂後半に、雪肌精、
ANA動画、メンバーシップ動画、などなど
1日には新しいお知らせも届くね
心ポッカリしながらも、
ひとつひとつ見ました
ネット上の声たちも、
身近な人の声たちも、
読んだり、聞いたりしました
思うこと、感じること、沢山ありすぎて
どう言い表せば真意が伝わるのか分からなくて
noteに書いては下書き、書いては下書きへと
語られない言葉たちが、積み重なってゆき…
今ね、
すごく不思議な状態
例えるなら、2つのスクリーンで
異なる2つの物語を観ている感じ
同じ言葉
同じ登場人物
同じシチュエーション
なのに、
それぞれのスクリーンに映し出される羽生くんは
全く異なっている
どこをクローズアップするか
どんな背景と絡ませるか
どんな視点で見るか
共感なのか、達観なのか、客観なのか
その視点でカメラワークも変わるし
音楽も画面の質感さえも変わる感じ
厳密に言うと、
スクリーンは2つではなく、もっと多い
どのスクリーンに映る羽生くんも
今の私には、どれも羽生くんとして見える
どの視点からの羽生くんも、
羽生くんの側面として受け止めている感覚
誰かに心を預けたり
誰かを心に住まわせない状態の視点とは
こんなにも多彩になるのかと驚いている
心を、羽生くんに添わせることを
私は今、意図して止めている
私自身を生きるために止めている
何かを、支えにするのじゃなく
何にも寄らずに生きていける自分になるために
それは今の私からしたら
果てしなく遠い道のりだ
でもいつか、、
いつか、
そんな自分になって、
そして、誰かを大切に思える様になりたい
でも、ふとした時に
無意識に
心が羽生くんに
無条件に
寄り添おうとしているのに気付く
それはとても馴染み深く、優しくて、心地よくて
その想いに包まれていると
まるで、それが
羽生くんそのもののように感じてしまう
これは、危険だ
羽生くんに限らず、
人という存在は多面的で
割り切れなくて、曖昧で
揺らぎながら生きている
盲目的になってしまったら、
本当に愛することから遠ざかってしまう
色んな面を知っていること
ひとつの想像で止まるのじゃなく、
あらゆる側面を見て考えてみること
そして、それをフラットに受け取ること
フィルターを外して、そのままを見つめること
対象にだけでなく自分自身に対しても
この視点を持てる様になりたいと思う
とっても難しいけど、、
難しいけど、意識していきたいんだ
盲目的な状態を感じると
ぐおぉっーっ!(◎_◎;)、と振り切って
敢えて遠くの視点へと向かう
先ず、自分に立ち返ってみる
私の好きなもの
私が心地いいもの
羽生くんの好みや夢や願いは置いといて
他の人の意見も置いといて
誰にも寄らない
誰にも添わない
ひとり、私が立つこの場所からの視点で見て
どう思うか?どう感じるか?
その思いや感じたものたちへの
答え合わせは、必要ない
ただその思いを知ることが大事
その思いや感覚を、知って、
自分で気付くことが
とても大事だと思う
感じ取ったものたちを
相手への敬意を持ちながら発してくれる存在は
表現者にとっては宝物だと私は思う
忌憚のない意見を伝えてくれる人々
自分も創作をするから、
これがどれ程貴重なことなのかが分かる
自分の表現が、
どんな人に、どんな風に届いているのか
知ることが出来る機会なんて、なかなかないから
こんなにも沢山の人が生きているのに、
手放しで賞賛されるだけの声しか聴けなかったら
いつか、
自分がどんな色をしているのかすらも
分からなくなってしまう
賞賛だけが、
表現が届いた証という訳じゃないのでは?とも思う
例えば悲しみの感情だったり、胸の痛みだったりが
実は、
見る人の心に深く届いたからこその、
起こる反応だという事もあると思う
上手く言えないけど、、
本物であればあるほど、
心地よさとは別の感動を
引き起こすこともあると
生きて来た背景、歴史、、
みんな違う
感動の反応は、ひとつじゃない
様々な声が聞けること
それは、とても素晴らしいことだと思うんだ
溢れる思いがなければ、声として生まれない
多彩な声が上がるのは、心が動かされた証拠
感動って、心が動くことだから
無関心なら、声すら上がらないから
ネットにある、様々な声を読んだ
賞賛も否定も
擁護も応援も
嘆きも疑問も
葛藤も祝福も
色んな声が溢れていた
中には、敬意を感じないものもある
そういうものはスルーでいいと思う
しかし大半は、
羽生くんを本当に大事に想い見つめて来た人にしか
生まれないだろう様々な想いたちを胸に抱えながら
時間をかけて向き合っているからこそ、
生まれて来る声たちなんだ、と感じた
言葉にするってエネルギーいるなぁ、って
久しぶりにnote書いて思った
勇気もいる
。。少し前もそんなことを言ってたな自分、汗
無理に言葉に起こす必要はない、と思うのと
言葉にしてみないと分からない、と思うのとで
何度も何度も書き起こして、
やっぱり何か違うと感じて、仕舞い込んで
その費やした時間とか、
それでいいのか?と自問自答したり
いや今しか考えることが出来ないことだから、と
敢えて時間をかけてみたり
答えとか何もないけど
書けるものを書いてみて
少し何か、進めたらいいな、って
新たなお知らせで
またいっぱい何か考えることになるかも知れんけど汗、
離れたり、近づいたり、休憩したりでいいんだ
ゆっくり、ゆっくり行こう
読んでくれて、ありがとう
おやすみなさい☆彡
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