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今の気持ち、大切にしたいもの。

一報を知った朝一番のその時は大丈夫だった

でもだんだんと
力を無くしている自分に気付き出して
立て続けにnote書いて想いを整理してたけど
それも出来なくなって
先日、とうとう体調を崩してしまった(;´д`)

どんどん、どんどん眠れなくなってね
夢の中で、ずーーーっと何か考えてるみたいで

まず大津波の夢を見たね。。
3回も来た
必死で逃げたよ
屋根の上まで登ったよ

他に象徴的だったのが
自分の部屋中を埋め尽くすくらいの
すんごい込み入った大型の機械があってさ、
それは『洗濯機』らしく、
様々な工程を経て、ようやく洗えるらしい
でも、その初っ端の工程で
既に水が溢れて壊れている
途方に暮れていたら、
誰か知らない人が私の部屋に入って来て
山の様に積まれている沢山の大切な写真を
その機械に放り込もうとされたので、
私はめちゃくちゃ怒って叫んでいた

何とその叫び声で目が覚めた(;´д`)。。
本当に叫んでた。。

とにかく、物凄く大きな洗濯機だったな

他には、数字が出てくる夢
最初の数字は2、22、20
これは何か日取りや時間を覚えようとしていた記憶

他は、4、18という数字と柚子の鈴
柚子の鈴は簪だったな

ある何か特殊な事を私は出来るのに、
ずっとそれをせずにいた
今それをするための席に空きが出て、
みんなから、それをして欲しい、と
望まれている事を知り、
私は神社の社務所の様なところで
その柚子の飾りと鈴が付いた簪を
受け取っていた
そこで4番という順番と
18日という日付を告げられた

他にもいーろいろ!
脳がフル回転してた


今、ようやくnote書こうという気持ちになれたのは
昨日、フラフラになりながらもスケート行って
転けまくったから、苦笑
いや本当フラフラの時に行っちゃいかんスケートは

まぁ転けたと言っても
ランジで体勢を維持できずに
横にズサーーって転けてるだけなんで、
あ、、クロスでも転けたか、
でも怪我はないので大丈夫
今は足にアザ出来て全身筋肉痛だ、苦笑

でもおかげで
疲れ切って寝ることが出来た
昨日は夢も見ることなく眠れた


ファンの方々の様々な思いも読んだ
呟き系SNSはしてないので
主にnoteやブログだけれど

私みたいに、腹の力が無くなり、
胸が空っぽな感覚の方々がいて、
少しホッとした様な気持ちになった
自分だけじゃないんだな、って

もう殆どの人が心の波を治められたのかな。。
私はまだなかなか、
無くした腹の力を取り戻せていない

なぜこんな状態なのか?
何故かは分からん
悲しいとか寂しいとか
嬉しいとか幸せとか
なんていうのだろ、そう言ったね、
何かの感情が羽生くんへ向かって
有るわけじゃなく

ただただ
力が出ないのである

ファンをカテゴリする言葉で
リアコという表現がどうにも苦手だ
恋、という言葉を使いながら
恋という言葉が表すものとは
全く別の事を言含めている様に受け取れる
同じくガチ勢という言葉もそう思う

なぜ言葉によって
人を分類するのだろう
人の心を縛るのだろう

もっと優しい、
美しい言葉を探したいし、
使いたいなって私は思う


表現って
普通の人間関係では到達できない様な
心の深淵まで
すっと入り込むことが出来るものだと
常々、私は感じていてね

その場所は
普通に過ごす中で出会う生身の人々には
入り込めない場所、のように感じていて

そして
その表現をした表現者への想いも
普通の人間関係では持たない様な
心の寄せ方、
想いの馳せ方になることがある、と
私は感じていてね

普通では
容易に立ち入ることが出来ない
心の場所に入って来た表現。。

私の場合は
それが
羽生くんのスケートで
羽生結弦という表現者だった


そういった表現をした表現者への想いには、
今ある言葉たちでは
なかなか言い表せるものが無いように思う

表現と表現者の存在が
羽生くんのように一体となっていれば尚更

羽生くんは、
羽生結弦という、命そのものが表現だから


心の深い、深い場所
他の誰も入り込めないところへ
届いて来たもの

心を構成する一部になっている
と言ってもいいくらいだと思う
溶け込んでいるんだ、心に
羽生結弦が

この一報で
現実の羽生くんが、望む幸せを手にした事を
心から祝福しているのに、空っぽになるのは

羽生くんがたったひとりの人を
想っているんだ、と
実感したからなのかも知れない

現実を生きる羽生くんが
スケートを滑って表現を届けてくれるのだから
現実の羽生くんの幸せは
何よりも嬉しい

だけど、
心の中に溶け込んでいる羽生くんは
私だけの羽生くんで、
誰しも、それぞれ心の中に
自分だけの羽生くんがいる

きっとそれは、恋に似ていて、愛に似ていて
似ているその想いの名は、何というのだろう

そこに、現実の羽生くんが
誰かひとりを思っていることを告げられた

何よりも大切に想っているから
真っ直ぐに届いて来ちゃうんだ


表現は
それを受け取るひとりひとりへ
届けられていくもので
それが羽生くんは羽生結弦そのものだったから
受け取ったひとりひとりの心の中に
羽生結弦が生きている

生きる姿そのものが
表現である羽生くんだから
その心が
たったひとりの人へ向かっている
それは
この心にいる羽生くんが
羽生くんへと帰っていくことを表していて。。

羽生くんがいた場所が
空っぽな空間になった

だだっ広い空間。。
こんなに大きく、羽生結弦が生きていた

そこには想いだけがある
何もない、
でも確かに、ある

深い、、想いの海



羽生くんから帰って来た私の心が有るように
私から旅立っていった羽生くんの心が、ある

表現と表現者を
同列で考えるのは違うのかも知れない
でも羽生くんは羽生結弦その人本人が
表現であり、また
表現でありながら
羽生くんは
現実を生きるひとりの人だから

ここに、
この心に、
溶かしておいてはいけない、と
羽生くんを
羽生くんに帰さなければ、と…

本来、在るべき場所へ
ありがとうと、想いを込めて

気付いたから、空っぽなのかも知れない


。。って、言葉にしてみても
また時が経つと
別の想いが見えて来たりするんだろうと思う

そしてまだ、
こうして語ることがちょっと辛い、汗

言葉にすると、
決めてしまう感覚があるからだと思う

語りたいけど、
語ると何かに決まってしまって、
それが苦しい

決めたいんじゃないんだ
探したいだけ

こうだ、って
語れるものなんて本当は何もない
でも語ってみなきゃ何が違うのかも分からない

世の中も
羽生くんも
どんどん進んでいくだろうけど

その流れに乗れなかったとしても
私は私の心を
ちゃんと味わって行きたいと思う




まだ写真を見ながら
絵を描くことが出来ないので
過去絵を貼る

羽生くんに出会ってなければ
私は再び絵を描くことは出来なかった

何かを作る、
創造する喜びを、その力を
私の中に甦らせてくれたのは
羽生くんなんだ

何も出来なかった当時から考えたら
今ではデジタルで
漫画や絵を描けるようになって
音楽もまた作れるようになって
念願だった津軽三味線の曲も作れるようになった

それらが出来るようになったのは
羽生くんから沢山の感動を貰ったから

羽生くんには、感謝しかないんです

この今の
心にぽっかり空いている空間も
羽生くんから貰った大切な感動

なかなか味わうことは出来ない
とても貴重なもの

大切に、したいね





読んでくれてありがとう

では、またね☆彡

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