【短編小説】花屋の男の子とピンクのバラの花
男の子が好きになったのは、公園で泣いている女の人でした。
女の人は、夕方の4時頃、教会の後ろにある小さな公園にやってきました。
そこには遊具がなかったから、子供たちの姿はありません。
子供たちはいつも、遊具がある大きな公園で遊んでいたからです。
女の人は、水色のワンピースに、白いスニーカーを履いてやってきました。
いつものベンチに腰掛けて、目の前を流れる川をいつものように眺めています。
すると、少しだけ肩を震わせて、今日も静かに泣くのでした。
男の子は、女の人が泣いている理由を知りません。
でも、とても悲しんでいるということだけはわかりました。
「どうしたら元気になってくれるかな。」
男の子は、今日も頭を悩ませながら、川をぼんやり眺める女の人の後ろ姿を見ています。
男の子は、公園の近くにある花屋の息子でした。
店番を頼まれたある日のこと。
その女の人が現れたのです。
それが、男の子と女の人のはじめての出会いでした。
「こんにちは。」
そう言って、女の人は男の子に微笑みかけました。
女の人の後ろから、太陽の光が差していたからなのか、それともその女の人の声があまりに綺麗だったのか、男の子はすぐにその女の人を好きになりました。
「このお花はおいくらですか?」
そう言って、女の人がカウンターに差し出したのは、一本のピンクのバラでした。
お母さんと女の人が話していることを一度耳にしたことがあります。
「花瓶に一輪差して、食卓のテーブルに飾るんです。お花は全部好きだけど、ピンクの薔薇が一番好きなの。」
男の子はそれからというもの、毎日ピンクのバラを一輪だけ店のどこかに隠しては、誰にもとられないようにしていました。
ピンクのバラは人気だったから、女の人が店に来る前に売り切れてしまう可能性があったからです。
ある日、お母さんに見つかったときは、「お前、一体何してるんだい?」と、大きな声で怒られたことがあります。
それでも男の子はめげませんでした。
ピンクのバラの花は、女の人にあげるんだ。
そう決めて、男の子は毎日、一番綺麗なピンクのバラの花を一輪だけ、店のどこかに隠しました。
そして、女の人がお店にくると、さりげなく元あるバケツの中へと戻したのです。
女の人の髪の毛は、栗のような色をしていて、腰のあたりまで伸びていました。
背は高く、顔は小さくて、肌は透き通るように綺麗です。
決して派手な服装ではないのに、女の人は遠くから見ても綺麗な人であることに間違いありませんでした。
しかし、8月を過ぎたあたりから、女の人はお店に来なくなってしまったのです。
男の子は毎日、女の人のために一番きれいなピンクのバラを誰にも取られないように守っていたけど、結局女の人はお店に来ませんでした。
「女の人は一体どこへ行ってしまったんだろう......」
そう思いながら、石畳の道をとぼとぼ歩いている時でした。
教会の後ろにある公園で、女の人が泣いていたのです。
後ろ姿しか見えなかったけど、女の人が泣いているのは、男の子にもすぐにわかりました。
肩を震わせていたし、時々目を拭うようなしぐさをしていたからです。
一体何がそんなに悲しいんだろう。
男の子は理由がわからなくて、どうしていいのかわかりませんでした。
だけど、女の人のことが心配だから、夕方、教会の鐘が鳴る午後4時頃にやってきて、女の人のことを遠くから毎日見守ることにしたのです。
こうして、今日も男の子はこの公園の近くにやってきて、女の人が来るのを待ちました。
教会の鐘がちょうど鳴り終わる頃、女の人は水色のワンピースを着て、白いスニーカーを履いて、その公園にやってきました。
そうして、ベンチに腰掛けてしばらくたってから、今日も静かに肩を震わせるのです。
「どうしたら元気になってくれるかな。」
男の子は女の人が泣いているのを見ながら、頭を悩ませました。
アイスクリーム、ビー玉、チョコレートケーキ、生クリーム......。
女の人を元気にできそうなものを頭の中で並べてみたけど、なんとなくそれでは女の人を幸せにできないような気がします。
どうしたらいいんだろう......。
その時、公園の前を流れる川を、一輪の花が流れているところを見かけました。
「これだ!」
そう思って、男の子はあるアイディアを思いついたのです。
それは、女の人のために、とびきり綺麗なピンクのバラを、公園の前を流れる川に流すというものでした。
男の子は急いで家へと戻り、女の人のためにこれまでとっておいたとびきりきれいなバラの花たちを持ってきました。
もう枯れてしまったものも多かったけど、それでもまだきれいに咲いている花もありました。
男の子は川の上にかかる橋のところに来ると、花が川を流れる時に綺麗に上へと向くように、茎を適当な長さに切って、そっと川へと投げました。
すると、男の子が考えたように、ピンクのバラの花はちゃんと上を向いて、きれいに流れて行くのです。
公園の木が遮っていたため、男の子がいるところからは女の人の姿は見えません。
女の人が川を流れるバラの花を見ているかどうかわからなかったけど、男の子は女の人を元気にしたい一心で、ピンクのバラの花を一つ、また一つと川へと流していきました。
そして、最後のバラの茎を切ろうとしたとき、ふと、視界に女の人の姿があるのに気がつきました。
女の人がこっちを見ている。
男の子は急に恥ずかしくなって体が硬直してしまいました。
走って逃げよう。
ふとそう思ったけど、男の子は思いとどまり、代わりに女の人に今日最後のバラの花をあげることにしたのです。
男の子はゆっくりと女の人の方へ向かいました。
そして、無言でバラの花を手渡すと、一目散に家に帰っていったのです。
それから数日が経ちました。
女の人は依然としてお店に現れません。
男の子はなんだか恥ずかしくて、公園にいくこともできませんでした。
しかし、川にバラを流してから一週間が経った時のこと、あの女の人がまたお店に現れたのです。
今日は、薄いピンクのノースリーブワンピースに、ベージュのフラットシューズを履いています。
「こんにちは」
そう言って、女の人は男の子にニコッと微笑みかけました。
「こんにちは」
男の子はかろうじてあいさつをすることができました。
内心ドキドキです。
「今日は、もうピンクのバラの花は売り切れちゃったかな?」
女の人は、空になったバケツを見ながらそう男の子に聞きました。
「いいえ。まだ一本あります。」
そう言って、男の子はカウンターの下から、女の人のために取っておいたバラの花を取り出したのです。
女の人は、花屋へ向かう道中で、「ピンクのバラの花は今日も売り切れだったわね」と話しながら歩く女性たちとすれ違ったばかりでした。
だから、男の子がカウンターの下からピンクのバラの花を出した時、全て合点が行ったのです。
夕方にはピンクのバラの花はいつも売り切れているはずなのに、自分が行く時はいつも一本だけ売れ残っているのでした。
これまで何度も不思議に思っていたけど、そういうことだったのだ。
女の人は男の子の方を見て言いました。
「この間のバラ、本当に素敵だったわ。川を流れるバラを見たのは初めてだけど、あんなに素敵だなんて知らなかった。私はいつも花瓶にバラを挿すの。そして食卓のテーブルに飾るのよ。この間あなたがくれたバラもそうしていたのだけど、枯れそうになってしまっていたから、川へ持って行ってあなたがしたみたいに流してみたの。私が流したバラも、誰かを密かに幸せにしていたらいいな。あなたがしてくれたみたいに。」
女の人は支払いを済ませて、少し恥ずかしそうにはにかみながらお店を後にしました。
女の人を喜ばすことができた。
女の人は、本当にまた元気になったんだ!!
男の子は嬉しくて、川の方へと向かって走り出しました。
そうして、あの橋のところにつくと、沈みかけている太陽を見ながら、大きく息を吸いました。
*
ピンクのバラを隠す行為は、男の子が寮制の高校に入るまで続きました。
男の子はそれからも時々夕方の公園に行ったけど、女の人が泣いていることはもうありませんでした。
その代わり、女の人は定期的に花屋にやってきては、いつものようにピンクのバラを一輪買っていきました。
女の人の部屋のテーブルには、今日もピンクのバラの花があります。
心細くて泣き出したくなる夜もあったけど、そんな時はその花を見るようにしたのです。
すると、花屋のあの男の子の優しい気持ちが伝わって、気持ちが少しだけ晴れていくのでした。
ピンクのバラの花はただ綺麗なだけでなく、今では美しい思い出も加わりました。
その思い出は、自分の人生の中でいちばん美しくて、ロマンチックで、優しい思い出のように感じられます。
きっとこれからも、ピンクのバラの花を見るたびに、あの素敵な出来事を思い出すでしょう。
自分と花屋の男の子だけが知っている、あの素敵な思い出を。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?