実は夢があります

26という夢を語りだす歳とは思えない歳ですが敢えて書きます。

死に際に苦労したくないです。

これは福祉業界にいる人なら絶対感じたことあると思います。体中が拘縮して動かなくなり管で胃に直接栄養送ってただ死を待つような状態の人を少なからず見たことあると思います。本人がどうしたいかなどお構いなし。周りの人間の自己満足のためにただ1分1秒でも長く生きればそれでよし。それってそんなにいいことですか?

よく利用者の身内は「ただゆっくり過ごしてくれればいい」とか「長く生きていればそれでいい」って言うんです。これって裏を返せば死ぬ間際に苦労して死ねって言ってるのに等しいんです。すっと死ねればいいですが世の中延命治療することがいいことみたいな風潮があるのでまあ無理でしょう。特養に何年かいる方ならわかると思いますが死期が近付いてる人の中に喉に痰が絡まって息苦しいところに吸引という行為をされる人っていますよね。そして呼吸できるようになってしばらくしたらまた痰が絡んで吸引の繰り返し。吸引って利用者見てると苦痛しかない表情してますよね。この様子を見て「長生きできるよう周りが手伝ってくれていいよね」みたいなニュアンスの言葉言う人いますよね。よく考えると長生きしなければ味合わなくていい苦痛を与えられて延命させられてる人を見てよかったなんて言える人ってやばい人ですよ。他人の不幸を見て喜ぶサイコパスでしかないという認識をしてください。俺ならそんな地点にたどり着いてまで長生きしたくありません。むしろ早く殺してくれとさえ思います。

「自分にされて嫌なことは利用者にしないように」

高卒後すぐに働きだした特養で指導についていた当時のユニットリーダーに言われた言葉です。自分を主観に利用者のことを考えるなら吸引を繰り返して長生きしたくないから安楽死の方法を模索します。でもこれって本人がそれを望んでいるかどうかはわからないからそれを実行したらただの殺人ですよね。つまり「自分がされて嫌なことを他人にしない」って理論は一部でしか通用しないことで正確には「その利用者がされて嫌なことを考えてそれをしないように」って教えるのが正しいと思うんです。

今認知症の知識って世間的にはかなり浸透してますよね。認知症になると判断力がなくなり意思表示が的確にできなくなるという事実も周知の事実かと思います。つまり認知症になる前に自らの意思表示ははっきりさせておいた方がいいです。これを怠って認知症になってしまい周りの考える幸せの中でしか生きれなくなると取り返しがつかなくなります。他人の考える幸せで自分が100%満足する方法なんてありません。

まとめ

死ぬ間際に後悔したくなければ意思表示をしっかりしておきましょう。現状日本は安楽死を認めていませんが安楽死が認められてるスウェーデンのような国に移住を考えるのも一つの手です。治る見込みのない難病患者に生きろというのはもはや拷問としか思えないです。元の生活が返ってくる病気なら全然ぶん殴ってでも治療に専念させるのはいいと思います。ただ認知症とかC型肝炎とか治る見込みのない病気と死ぬまで戦って死ねって言う方が非人道です。

若い間は働かされて歳取ったら歳取ったでまた意味のない労力を使わさられる人生になる前に手を打っておきましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?