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はなれているから、やさしくなれる

わたしは3歳くらいのころ、当時住んでいたアパートの、2階のベランダから落ちて、意識不明になったことがあります。

それは、日曜日の朝でした。母がちょっと目を離したあいだに、ベランダにのぼり、落ちてしまったようで。運よく、生い茂った草むらがクッションとなり、大きなケガはしませんでした。でも、意識が戻らず、病院で何本か注射を打ちましたが、まったく反応がない。そのあいだ、父はわたしを抱いたまま、ずっと泣いてて、母は、そんなわたしの様子から「この子は、もうダメかもしれない・・」と、覚悟を決めていたそうです。


そして、意識不明のまま数時間後。お医者さんから「できることはもう何もないので、家で寝かせておいてください」といわれ、しかたなく帰宅。いわれたとおり寝かせて、深夜、真夜中。「お母ちゃん、おしっこ・・・」と
目を覚ましたらしいです。

こうやってあらためて書いていると、よく無事だったなと思う。このときのことは、まったく記憶になくて。小さかったからなのか、それともそこだけ記憶がぬけ落ちているからなのか、わからない。でも、もうすこし大きくなってから同じことが起きていたら、落ちるときの恐怖とか、落ちたときの衝撃とか、生々しく覚えていて、トラウマになってたかも。


これは、わたしの想像でしかないけど、意識不明のあいだ、三途の川をわたってたんじゃないのかなぁ。渡ったさきの、賽の河原で石積みをしてて。でも、なぜか帰されて、いまがある。どこかで、「生かしてもらってる」っていう感覚があるんですよね。しらんけど。

わたし、高校生くらいまで生きてることがしんどい時期があったんですよ。べつに、死にたかったわけじゃなくて「なぜ、生きてるんだろう?」っていう、モラトリアムのひとつといいますか。やりたいことがあって生まれてきたのに、そのやりたいことを忘れてしまって、ずっと探しつづけてるような、自分だけ置いて行かれたようなさびしさを、いつも感じてた。


そのさびしさを埋めようとして、転職をくり返してたような気がする。いままで4回転職して、4回目の転職で「やっとみつけたーーっ!!」って。これだ、これだったんだって、もうホントうれしくて。覚えることが果てしなくあって、めちゃくちゃ大変だったけど、そのたびにできることもどんどん増えていって、楽しかったなぁ。「このための人生だったんだ」って、思えるくらい充実してました。

でも、そんなある日。その「充実」が、スコーーーン!!と、消えたんです。突然、何の前触れもなく。自分でもわけがわからない。何があったわけじゃない。むしろ何もない。何もないからこその衝撃と動揺。「もう、ここにはいられない」ってなって。ソッコー辞めようとしてたのに、会社組織というめんどくささよ。引き継ぎやら、何やかや、いろんなことで引きとめられて。やることはいままでと変わらないのに、この差はなんなんだ。楽しかったことがすべて苦痛にかわる、こんなツラいことはない。


でも、なんとか無事退職して、こっそりまたnoteにきました。たどり着いたこの場所。ここが最後なのか、「ここじゃなかった!」ってなるのか、まだわからないけど。でも、10ヶ月放っておいて帰ってきた。いままで立ち上げては散っていったあの場所たちとはちがう。何かあるんじゃないの?ねぇ。あると思いたい。いや、あるよ。だって、こんなに長いブログ書いたのはじめてだもん。いま文字数みたら、1400超えててビックリよ。書けるじゃん、わたし。「モラトリアム」って、はじめて書いたよ。

帰ってきて気づいた、ここの「ここちよさ」。書き手と読み手、書き手と書き手、書き手とnote、わたしとnote。なんてポエミー。


だから、いまはここにいます。いろんな人がいて、やりたいことやってて、スキになったり、サポートしたり、コトバをくれたり。近すぎない、でも、遠すぎない、この距離感。はなれているから、やさしくなれる。ね?




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