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あつまれどうぶつの森から考える私たちの脳

初めまして。

現在大学院でヒトの脳を研究中の朝凪めいと申します。

ちまちまと、身の回りに溢れる脳科学・生物学ネタを発信していきたいと考えております。極力分かりやすく、専門外の方でも面白く読めるように書いていきますので、どうぞよろしくお願いします。

第一回の今回は、現在大人気のゲーム、「あつまれどうぶつの森」を元に、私たちの脳が持つ不思議について簡単にご説明したいと思います。

大ヒットゲーム「あつまれどうぶつの森」

「あつまれどうぶつの森」通称あつ森は、島で「何をしてもいい」ゲームです

インテリアやファッションに拘ってもいいし、釣りや虫取り、化石堀りをしてもいい。花を植えたり遊園地や公園を作ってもいいし、最近では海に潜るということもできるようになりました。

ちなみに筆者は最近、河川工事に凝っています。

このような何をしてもいいという斬新な方向性と綺麗なグラフィックからか、最近のステイホームの影響もあってか、あつ森は類を見ない大ヒットを見せているそうですね。

このあつまれどうぶつの森に関して、脳科学的に興味深い現象をよく耳にします。それが、「あつ森と現実を混同してしまう」という現象です。

あつ森と同じ行動を現実で起こしそうになる人たち

Twitterで検索をかけると、たくさんの「あつ森・現実混同事件」が出てきます。

・あつ森で虫取りをしていたら現実の虫も拾ってポケットに入れそうになった

・あつ森で草抜きをしていたら現実の草も抜きそうになった

・季節感覚や時間間隔、金銭感覚がおかしくなった

そのあらわれ方は非常に多種多様です。

かくいう筆者もあつ森の河川工事のやりすぎで、現実の家の横にある側溝を埋めそうになりました。

「ただのゲーム中毒じゃないか」と言われてしまえばそれまでですが、これらの混同事件、中でも「あつ森の動作を再現する」という行動は、脳のメカニズムを考える上で非常に重要です。

その重要性を説明するために、まずは「運動等価性」という私たちの脳が持つ性質について説明します。

運動等価性とは?

利き手で自分の名前を書く。

これと同じことを、身体の多種多様な部位を使って行ってみて下さい。

利き手と反対の手で書く、足で書く、口で書く、尻で書く。

もちろんおなじ綺麗さでとはいかないですが、大体それっぽいことはどこの部位でもできたのではないでしょうか?

これを専門用語で「運動等価性」と呼びます。右手でできることは、だいたい左手でもできるし、足でもできる。だいたいざっくりとそんなイメージでいてくれて構いません。

この運動等価性は、私たちの脳に関する一つの事実を示しています。

それは、私たちの脳は運動を抽象的な形で保持しているということです。

当たり前ですが、右手で文字を書くときと尻で文字を書くときでは、筋肉の使い方も関節の角度の調整のやり方も全く異なってきます。

それなのに同じことが出来るのは、私たちは運動を「この筋肉をこれくらい動かす」という具体的な形で覚えているのではなく、「なんとなくこんな感じの動き」という形で覚えた上で、毎回それに合わせて筋肉への指示を計算しているということです。

私たちの脳は日常の行動をかなり抽象的に捉えている

さて、少し話が専門的になってしまったので、そろそろあつ森の話に戻ります。

あつ森と現実で同じことをしようとする。これは、よく考えれば非常に不思議なことです。

例えば現実の虫を捕る際には、腰をかがめ、手を伸ばし、虫を摘ままないといけません。それに対して、あつ森で虫を捕る際には、指先でAボタンを押すという行動が必要になります。

これは、運動等価性どころではなく、そもそも行う運動が大きく異なっています。

それなのにあつ森の行動を現実で起こそうとするということは、つまり

私たちの脳は、「虫取り」「川の整備」などの行動を、身体の動かし方という具体的な表現ではなく、ただ漠然とした概念として保持、それを運動に変換して実行しているということです。

そのため、私たちの脳にとってはそれが全身の筋肉を動かすことなのか、指先でAボタンを押すことなのかはどうでもよいのだと思われます。

さぁ、応用しよう

「だから何やねん」

と、思われた方のために、応用の可能性について記しておきます。

脳科学に応用の方向性の一つに、「効率の良い脳トレーニングの考案」があります。筆者が行っている研究もざっくりいうとそんなやつです。

この脳トレとは、もう少し詳しく言うと、「脳内のとある神経回路を集中的に鍛える」ということです。

私たちの脳にもし行動を抽象的にとらえる回路があり、その回路の使用にはあつ森も現実もないのだとしたら

何かのゲームを行うことで、脳機能の回復を図れたり、何かのトレーニングを行える可能性があるということです。

これまでバーチャル・リアリティゲーム機を用いたトレーニングなどは考案されてきましたが、それは現実動作とゲーム動作が等しいという前提がありました。

しかしこのあつ森・現実混同事件から考えると、動作が等しくなくてもトレーニングとなる可能性が示唆されます。

これが実現できたらと思うと、非常にわくわくしますね。

おわりに

さらに詳しく知りたい人は、「運動等価性」について調べてみて下さい。

また、筆者はまだまだ勉強途中なので、今後もこの記事の内容に関しても適宜修正・補足していきたいと思います。






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