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ながらへばそこには

 夢の中で、定期的に訪れる場所がある。
 そこには、「窓口係」を名乗る美しい女性が一人、いつも座っている。ホワイトカラーのシャツの水色のスカーフ、艶のある黒のベスト。どこか銀行の窓口を思わせる服装をした彼女は、明るくも事務的な口調で、私の前で何かの「手続き」を進めていく。
「それでは、今回の破棄書類はこちらでよろしいでしょうか?」
 そう言って一枚一枚丁寧に見せられる書類の中には、はっと息を飲むほど美しい絵もある。だから何度か「これは捨てたくないのですが」と抗ってみたことがあるのだが、窓口係の女性は笑顔を崩さずに、ゆっくりと首を振って見せるのだ。
「申し訳ありませんが、もう破棄が決まっているものですので」
 じゃあ、一体どうして私は、一枚一枚見せられないといけないだろう。
 そう不満に想いながらも、不思議と私は何度も何度もその場所を訪れるしかないのだった。

「同じ夢って、どうして何度も見るんだろう」
 朝食のプレーンオムレツを口に運びながら夫にそう呟くと、「大事な夢だからじゃないかな」と微笑み返された。私は、ふむ、と少し首を傾げた。
「そうかも」
「今日は友達と会うんでしょう? そろそろ食べきらないと」
 うん、と頷いてプレーンオムレツの最後の一口を食べきる。ふわふわで美味しいオムレツだったのだが、悲しいことに美味しいものほど儚い。

 女同士の友人関係は、不思議なものだ。
 ある時誰よりも味方だった友人が、いつのまにか、とても友人とは思えない何かに変わってしまうことがある。
「ね、だから、私まったく悪くないでしょう?」
 私の幼少期を支えたその友人、いや、「友人だったもの」は、涙を零しながらも微笑んでいた。
「仕方がなかったのよ」
「……どんな理由があったとしても、私はあなたのやったことに賛成できない」
 私は何度目かのそれを繰り返す。しかし彼女は、意見を改める気はないようだった。
「違うの。私は、自分を守るために、つまりね……」
 ふ、とその言葉を聞いて、悟る。
 私は私を守るために、この子を置いていかなければならない。

 その晩も例の夢を見た。窓口係の女性に見せられた書類は、膨大な量だった。
「すべて、破棄ということでよろしいですね」
 そう言って見せられた書類は、私が今日「捨てた」友人との思い出を示すものだった。
 一緒に訪れた場所。苦しんだ私をふっとすくい上げた、彼女のひとこと。
「破棄したくありません」
 そう食い下がったが、女性はいつも通り事務的な口調で私に告げる。
「申し訳ありませんが、破棄はもう決まっておりますので」
「……はい」
「これですべてになります。お気をつけて、お帰りになって下さい」
 窓口の椅子から立ち上がり、出口に視線を向ける。
 そこで、思わずあっと声をあげた。
 昔捨てた書類たちが、そこでめらめらと音を立てて燃えていたのだ。
 現実の炎と違い、それはどういう訳かちろりちろりと虹色の火花を放っていた。まるで、花火だ。
「きれい」
 口にすると、「ええ」と窓口係の女性が言う。
「今日の破棄書類も、きっといつかそうなります」
 私は紫色と黄色で彩られた火花がすっと空気に消えていくのを見て、思う。悪くない。……それなら、悪くない。

 夫に起こされて目を覚ました。春の訪れが近い陽だまりの中、私は布団にくるまったまま夫の顔を見上げる。
「悪くない夢だった」
 そう告げると、夫が「それはよかった。朝ごはんにしよう」と、微笑む。
 もぞもぞと布団から抜け出しながら、スマホを見る。大人になってからできた一人の友人からのメッセージが入っていた。「推し」に狂う彼女の様子に思わずふふっと笑いながら、起き上がる。
 捨てていったものも、失ってきたものも、たくさんある。
 それでも、てのひらの中にはいつのまにか光が溢れていた。昨日捨てたものだって、いつか光り輝く日が来るのだろう。それがどうか美しくありますようにと願う。

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